生きることが凝縮した場所
東京での就農を決意して1ヶ月と少し。地域の農家さんから行政機関、農業系の社団法人などあちこち訪ね歩いて、企業が経営する農地でしばらく経験を積むことになりました。
余った畑と機材は自由に使ってOK、その上、働いたぶんのお給料もいただけるというありがたい待遇。ご好意に報いるべく、とりあえずできることからがんばろう!と気合いを入れた矢先の雨、雨、雨。。。畑仕事はお休みになり、気持ちばかりが焦るので、ここ最近土に触れながら思ったことをnoteに書いてみることにしました。
それは、私にとって「農業=生きることが凝縮した場所」だということ。
そもそも、農業って生き物を育てることが仕事なわけで、農地には数え切れないほどの多種多様な生き物がいる。それだけでも、「生が凝縮している」わけなんですけど、その生き物の様子を日々観察して、適切に対応してあげるっていう農業の基本的な行為。ひらたくいうと「育てる」っていう行為が、私にとっては「生きる」ことなんだな……と
そう思うと、一度に多品種のいのちを育てる農業の現場って、生のたまり場みたいな感じがして、妙に濃厚な気分になったりして。
思うに、東京のど真ん中で働いているとき、ビル街や地下道の人工的な雰囲気に始終感じていた違和感。この正体をずっと自分の中に探していたんだけど、それは、その空間に「生」が全く感じられなかったことだったんですよね。
きれいに整備されて、暑くも寒くもない快適な人工空間。とっても快適ではあるけれど、そうではない、生に満たされた場所で、自分が生き物だってことを実感しながら生きていたい。そんな気持ちから生じる違和感だったんだなと。
そんなことを、炎天下にブルーベリーの木の根元の草むしりをしながら、ふっと思ったわけです。