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ひたすら「リスキリングだ!」としか言わない経営者には「それは違う」と言いたくなってきた

こんにちは、秋元あきむです。

ようやくただ暑いだけの日々から解放されてきましたね。
正直まだ「秋めいてきた」というよりは、「夏の暑さが少しマシになってきた」という感じで、秋の匂いもまだ遠いですが、それももう少しの辛抱かなという感じです。

さて話は変わりますが、みなさんは「リスキリング」をご存知ですか?

リスキリングとは、「Re skilling」――文字通り「能力の再開発」のことです。たとえ聞いたことがない方でも文字面からどういった意味か、おおよその検討はつくのではないでしょうか。これが最近耳にする機会が増えてきた気がしますし、会社勤めの方などは聞いたことがある人もいるのではないでしょうか。

失われた30年と言われてきた日本ーー。
少なくとも経済的に前進している、豊かになっている、と実感する人は少ないのではないでしょうか。そんな日本において企業が競争力を維持・再活性化するために、またITやAIといったこれまでになかった新たな領域の発展によって、企業にはこれまでにない人材が必要となってきています。日本において個々人の能力の底上げが必要だと感じるのは企業経営層や組織をマネージする立場の人間からしたら当然の流れと言えるでしょう。

ところで、私はずっとこの「リスキリングしましょう」というセリフには、どうにも違和感を感じて仕方がありませんでした。「何をどうリスキリングするの?」という疑問が常に付き纏っていたのです。

それに加えてたいてい「個々人の意識改革が必要なのです」という言葉が続きます。個々人の意識改革も何も、リスキリングをすること自体に給料がもらえるわけではないうえ、リスキリングのゴールがどこかも明示されていません。

大きな企業であれば全ての社員に共通のゴール設定をすることは難しいでしょう。ですがそれなら各事業部、部門、チームなどに落とし込めばいいだけの話です。

つまり、私の中ではずっとこの「リスキリングしましょう。そのために意識を変えていきましょう」という言葉に違和感を覚えていたのです。

ついでにいえば自分のためになるかわからないのに自主学習をしなければならないなんて「超めんどくさい!」と思っていました。
(すみません、こっちが本音かもしれませんw)

そんな中、最近本屋の飾り棚の本を手に取り、その違和感が多少なりとも払拭されました。後日この記事でその本をご紹介する機会などあるかもしれませんが、今は恐縮ながら意訳だけにとどめさせて頂きます。

まず最初に、「日本人は『リスキリング』という言葉の解釈を間違えている」ということです。

――これは少々端的に言い過ぎたかもしれませんね。

もう少し正しくは、「日本人のリスキリングは、個々人の『自主性』、もしくは『自主的な活動』に任せてしまっていることに間違いがある」というものです。

国や企業単位で見たとき、最終的に個々人の能力開発へ至ることには相違ないのでしょうが、それを個人の自主性に任せてしまっている時点でおかしい、ということなのです。

では欧米ではどうか?
欧米は、「企業の事業戦略があり、それに必要な人材確保のため、社員に対してスキルとラーニングを示す」までが一括りになっています。

つまり、責任の所在が違います
日本は、やや極論かもしれませんが、「スキル伸長は個人個人の意識改革が重要」という謳い方をしており、欧米では「会社の戦略のために会社が準備するこのラーニングでスキルアップを図ってほしい」となります。全てのケースではないかもしれませんが、スキル取得に応じた給与アップや報酬までが欧米ではワンセットのようです。

どうにも日本人の悪い癖かもしれませんが、欧米の「リスキリング」という言葉を本質を捉えずに一人歩きさせているように思われてならないのです。

これは私にとって目から鱗でした。というか私が不勉強なだけだったと反省も込めてなのですが、どうにも日本人というのは「自分が頑張らなければ、自分がやる気を出さねば」という思考に陥りがちです。”自分のせい”として、”他人のせいにしない”、そんな美徳ともいえる考え方を持っています。

そしてそれは同時に、上が責任を負わない「なぁなぁ主義」とも言えましょう。

ですが欧米では個々人のスキルアップを戦略に帰結させる責任が経営者にあります。質自体が全然違うものなのです。

ーーところで、最近会社でこんなことがありました。
本当に割と最近なのですが、立ち上げたばかりの新しい戦略チームへと配属となりました。(……といえばどこかカッコよく聞こえますが、会社全体で見ればまだまだ小さいものなのです)

そこで必要となる能力は、私がこれまで培ってきた経験とは180度とは言いませんが、120度ほどは異なるものです。

もう少し具体的な言い方をします。
対お客様(外部指向)より、対社内のルール(内部指向)が非常に重要となる組織です。

特にこの社内のルールが非常に厄介です。長年こねくり回され続けたのか、複雑かつ体系的ではないうえ、ちょくちょくチームの足枷となり、おまけにまとまったマニュアルもガイドもないという、大変に難儀な領域です。

会社で重要なルールにも関わらず整理も体系化もされておらず、ガイドにも乏しい時点でダメですが、たまたまチームにひとり、この領域に精通していた人がいました。

マネージャーには、「必要に応じて個人でその人に確認してほしい」と言われます。これはある意味正しいでしょう。

――ですが。
その領域への理解をチームの共通認識にしなくていいのか? というのがずっと抱いてきた疑問です。

つい先日も、ルールに精通していないがためなのか、別の方の成績が目標とは異なる結果で反映されてしまった、という事象がありました。
ーーでも仕方ありませんよね? チームのベーシックスキルとして定義・展開されていないのですから。その人からすれば「なぜこんなことになったかわからない」というところでしょう。個人的には同情すら覚えます。

これは、最初に必要なスキルとして定義され、チーム内で整備されなかった結果です。正直いってマネージャーが「個々人でキャッチアップして」と言われている時点で「それはちょっと違うんでない?」と思われてなりません。

その精通している方へ、マネージャーが展開を職務として命令(もしくはお願いでもいいですが)してもいいでしょう。それになにも負担をその人に押し付ける必要もありません。ルールを管轄する部門に確認して展開を依頼したり、場合によってはマネージャー自身が多少の取りまとめをしてもいいかもしれません。

いずれにしてもそういったことが何も行われないなら「それは組織にとってベーシックなスキルではない」=「よってそれにより生じるミスは仕方ない」と処理されるぐらいでなければなりません。

まぁうちの会社がやや個人の能力主義的なところがあるので上の方々もそういう思考になるのでしょうが、それにしては上の立場としての責任を放棄してないか、というのが個人的な意見でした。

――と、愚痴っぽいのはこれくらいにしておきまして。

あなたの会社の上の方々はどうですか??

もし会社の経営層やマネージャーが、「今後我々は〇〇という戦略を取る、そのためには具体的にxxという能力が必要となり、ついてはそのためのラーニングを準備する」という言い方をするのであれば、満点ではなくとも合格点ぐらいをあげてもいいのではないでしょうか?
(すみません、「何様だ!」という感じですが、会社を経営する立場なのですからこれくらいは期待しましょう)

いずれにしても今後、企業や組織が向かうべき戦略と、それを個々人のスキルへ落とし込み、準じたラーニングは用意するのは企業や組織を運営する立場の責任だということです。少なくとも個人に押し付けて「はい終わり!」ではありません。
戦略も示せず、ラーニングを個人の自主性に落とし込んでいる時点でその方の誤った認識といえるでしょう。

もしあなたが「会社にリスキリングを言われているけど何をやればいいかよくわからないし、時間もやる気も出ない」という状態に頭を悩まされていましたら、その必要はないのです。もしくは悩ませている時点で経営側が明示する義務を怠っていると言ってもいいかもしれません。(ちなみにこれは私自身にも言い聞かせています)

ただし、会社でのキャリア形成や、夢を叶えるための努力なら話は別です。ここまで読んでくださった方ならそれはおわかり頂けると思います。

話を戻しまして、もし「会社のため、リスキリングには個々人の意識改革が大切なのです」という経営者がいたら尻を蹴飛ばしてもいいかもしれません、内心で。

またはもし風通しのいい会社なら、

「……それで? 会社の戦略に対し、あなたは具体的にどのような人材とスキルを欲しているのですが? そのためにどのようなプログラムを社員に提供されているのですか?」

と聞いてみてもいいかもしれません。

ただし自己責任の範囲で!

それではまた!



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