サンパウロの展示で感じた、ブラジルにおける表現の切実さ
南米最大の街なだけあり、サンパウロは展示の宝庫だ。短い滞在期間中に全て観られるとは到底思えないが、できるだけ観てこの土地特有の美術・展示シーンから吸収したい。
そこで今回訪れたのは、街の中心を貫くパウリスタ通り沿いにある、写真やアーカイブ・マテリアルを展示の中心に置くInstituto Moreira Salles(IMS)だ。
今行われている展示は、2つ。
一つは、ブラジル軍事政権下の1960〜1980年代に活躍した映像作家、リポーター、写真家のジョルジュ・ボダンスキの初となる大回顧展「QUE PAÍS É ESTE? A câmera de Jorge Bodanzky durante a ditadura brasileira, 1964-1985」=「これはどんな国?:ブラジル軍事政権下におけるジョルジュ・ボダンスキのカメラ、1964-1985」。
もう一つは、リオ・デ・ジャネイロにおけるサンバの発展史を振り返る「PEQUENAS ÁFRICAS o Rio que o samba inventou」=「小さなアフリカたち:サンバが発明したリオ」。
いずれも、ブラジルに深く根ざした、ここでしか味わえない展示の匂いが立ち込めていた。
まずは5階のジョルジュ・ボダンスキの回顧展へ。写真、映像、ジャーナリズムにまたがって活躍したキャリアを反映するように、複数の異なるメディウムによる作品群が散りばめられている。
主に70〜80年代にかけて撮影された、ドキュフィクション的アプローチの映像作品のダイジェストが、会場の中心を貫く4面もの大きなスクリーンに映し出されていた。代表作は『Iracema - Uma Transa Amazônica』(1975)や『O Terceiro Milênio』(1982)で、アマゾン熱帯雨林における森林伐採をめぐる問題や、資源採掘の現場を舞台に、手持ちカメラで実際に現地に住む人たちに迫りながら語りを引き出しつつ、ある種のスクリーンプレイをベースに役者的なアクションを取る出演者たちの存在を織り交ぜていく映像手法が見て取れた。
これは同時代にブラジルで起きていた「シネマ・ノーヴォ」の流れに一部呼応しつつ、ボダンスキのジャーナリズムとダイレクトシネマが融合して生まれた彼独自の立ち位置なのだと思う。
ブラジル軍事政権下で映像作品を発表していた作家としては、ボダンスキ以外にもエドゥアルド・コウチーニョなどがいる。2013年か2014年にパリで通ったドキュメンタリー映画祭「Cinéma du Réel」でも、軍事政権下で撮影されたブラジル発の凄惨なドキュメンタリーが何本か上映されていたのを鑑賞した。それがボダンスキやコウチーニョによるものだったか、今すぐには確認できないが、重要なのはブラジル映画史において、軍事政権に対していかに表現の位相において抵抗するかは、彼ら映画作家たちが否応なく向き合わざるを得ない問題の根幹であり、文字通り死活問題だったということだ。
以下のBBCによる記事が、ブラジル映画における表象の問題をめぐる激しい攻防について要点を語ってくれている。
他に展示を観て思ったのは、車やバスから連続的に捉えた写真など、時間を経たことでそこに刻まれた意味が強さを増したような作品が多いということ。撮った瞬間は、もしかしたら報道のためにとにかく点数を多く確保しようとしたのかもしれない。コンタクトシートをプリントしたあと、吟味されていたかもしれない写真たちが、それぞれ独立した価値を持ち、並列で展示されている。そんな印象を受けた。
写真も素晴らしかったが、俺はボダンスキの映像作品により強く興味を惹かれた。ブラジルでもこの展示が初の回顧展なのでなかなか機会は多くないはずだが、彼の映像作品をいずれしっかりと観たい。
次の階に上がると、「小さなアフリカたち:サンバが発明したリオ」展がやっていた。
入ってすぐ右手にあったのは、カルロス・ヴェルガラ(Carlos Vergara)による2019年の作品「Painel Cais do Valongo」。カイス・ド・ヴァロンゴ(ヴァロンゴ埠頭遺跡)は、リオ・デ・ジャネイロの港に1811年に建てられ、アフリカから南米に連れてこられた黒人奴隷たちを荷揚げした場所として、知られている。ヴェルガラは、この遺跡から採取した土をキャンバスに塗布し、奴隷たちがかつで踏んだであろう埠頭の石造りの道の形をプリントした。
サンバが北東部のバイーア州からリオ・デ・ジャネイロに移住したアフリカ系黒人の奴隷労働者たちによる音楽実践を基に発展していったという成立史については、表面的にしか知識がなく、まだまだ深めなければならない議題である。この展示では、20世紀初頭頃のアーカイブ写真や雑誌の実物、テキストやビデオによる様々な逸話の語り、実在のミュージシャンたちの肖像写真、さらには黒人奴隷の子孫たちが成立に深く関わっているカンドンブレなどの宗教的シンクレティズムにまつわる資料にふんだんに触れることができた。知っていなければならなかったはずなのに、ここを訪れるまでなかなかこの角度でサンバを眺める機会がなかった、そんな認識の揺らぎを体験した。
2階分にわたる展示の一番奥にあったのは、サンバを中心とした諸実践に深い関わりのある人物たちの相関図だ。血縁や出身地、アーティスティックな影響などによって色分けかつ紐づけされた個々人の写真が展示されていた。
これだけ多くの人物たちについて個別にリサーチしていくのは骨が折れるが、これからの滞在を通してこの相関図がストンと腑に落ちるような体感を得たい。
IMSは売店の書籍コーナーが非常に充実していて、ついつい長居してしまった。下の本はとても気になったが、このタイミングで厚手の本に手を出してしまったらこの先の旅が思いやられるので、何とか高ぶる感情を抑える。もう少し、本以外で得られる知識を蓄えてからにしよう。