「リーチ先生」を読んだらきっと小鹿田焼がほしくなる。
今も残る喫茶。
今年のお正月も長野の松本市に行って『喫茶 まるも』に立ち寄りました。昭和31年創業の空間はいわゆる昭和レトロで素敵ですし、「柳宗悦先生が開店時にお褒めくださった」と語り継いでいるところがまた大好きです。私も柳宗悦の民藝運動を知ることで日本の伝統的な工藝品への知識を身に着けた一人です。もちろん益子の「濱田庄司記念益子参考館」も大好きです。その蒐集品が自作が負けたと感じた記念に購入するというくだりは濱田庄司という人のお茶目さと向上心を示していて素敵なエピソード。京都の河井寛次郎の登り窯を訪れた時は、窯に今なお残っているエネルギーのようなものに圧倒されました。そのことはまた別に書きたいと思っています。
まさかの小説。
最初に『リーチ先生』を手に取った時、まさか小説とは思いませんでした。だってバーナード・リーチで小説を書こうなんて思う人がいるなんて思わなかったんです。思わず笑ってしまうような感じで意表をつかれました。バーナード・リーチはイギリス人の陶芸家で1979年に亡くなられています。民藝運動にも関わりが深い人物ですが、現代で小説として描かれるとは驚きました。でも読後は前よりずっとバーナード・リーチが好きになりました。もちろんフィクションなわけですが。でも箇所箇所に民藝運動の雰囲気が感じられつつ、白樺派の芸術家も登場し、ストーリーには切なさもあり、一気に読破できる楽しい小説でした。
以来、原田さんの小説を読むきっかけの本となりました。原田さんの肩書きにはキュレーターとあり、他の作品でも美術関係のものは多く、バーナード・リーチを小説として描くアイデアはそうした知識と経験からもたらされたことは後から知りました。
小鹿田焼
作中に出てくるのが小鹿田焼(おんたやき)で大分の器。器の収集癖も大した知識もありませんが、時折ほしい器に出会うと買っています。小説を読んでからは小鹿田焼の魅力に気づかされて、好みの器との出会いがないかと期待してしまいます。これはもう出会いだから慌てず、ふとした時に出会うものと思いつつ、器屋さんやギャラリーで見かけると静かに胸が高鳴って手に取っています。
そもそもはあんまり買い物をしないんですが、ほしいものは決定的にほしいってわかります。昔から、ちょっとでも悩むときやとりあえずでは買わない性分です。濱田さんではないのですが本当に心が動かされた時に買います。それは音楽も一緒。サブスクのない時代は、店頭の試聴機に真剣に向き合っていました。そんなに注ぎ込むお金はありませんから失敗できない。そうすると試聴が真剣勝負になる。これは今の自分に必要な音だろうか?と音に神経研ぎ澄ましていました。結構当時はそういうスタンスの人多かったと思います。目を閉じて聴いている人とかいましたから。
さすが年を経て、ギラギラした試聴機の前のような自分はいませんが、ものを買う時の基準は心が動かされたかです。これだとあんまりモノが増えなくていいなっと自分では思っています。