真夏の九州うつわ旅・5日目(その2) ~いとしの小鹿田へ~
肌寒ささえ感じる頃になりましたが... 「”真夏の” 九州うつわ旅」の記録を続けています。
4泊5日の最終日。小鹿田に行くことにした経緯はこちら。
今回はやっと、小鹿田焼の里に入ります。
❑ 5日目:8月12日 晴れときどき曇り
この旅行最終日。
私なりに深い思いを抱えて小鹿田焼の里へ向かった。
小鹿田焼きの里は、大分県日田市の深い山あいにある。急な斜面の川沿いに並ぶ、13軒の家からなる小さな集落で、うち現在9軒が窯元だ。
昔ながらの製法で300年前と変わらぬうつわを作り続けている。
(以前 noteで詳細を。前編・後編)
今年7月初旬のこと。自然と共存する小鹿田焼の里が、その自然の猛威にさらされてしまった。降り続く豪雨により、甚大な被害を受けてしまったのだ。
小鹿田の象徴ともいえるような「唐臼」は、里にある39丁すべてが被災した…。
前回記録したとおり、そんな状況の里を訪ねて良いものかどうか、ずいぶん悩んだのだけれど、現地の現況を確認して、私なりに考えて、そして結局最終日に行くことに。
小鹿田へ向かう一本道で目にした土砂崩れは、想像を超えるものだった。
その道を通り、小鹿田焼きの里に到着。
やっぱり自然の息吹と奥深さが漂う、うつくしい里だ。この場所で受け継がれてきた ”民衆のうつわ” の魂が息づいているように感じる。
けれど、被害の状況は未だ目を覆うよう...。
苦しい光景...。このほかにも、建物全体がブルーシートで覆われているお宅などもあった。被害を受けられたことはわかっていたけれど、実際に目の当たりにすると、言葉を失う。
被災直後の姿は、想像するだけで 心が圧しつぶされるようだ。
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と、こんな場面でナンだけれど。
食いしん坊の私はどんな時でも食は大事……。
小鹿田に行くと決まれば、あのお店のことも大きな関心事だった。
冒頭で触れたとおり、小鹿田焼の里には13軒のお宅がある。
うち9軒が窯元で、1軒が唯一の飲食店、お蕎麦屋さんだ。
できればそのお蕎麦屋さんで昼食をいただきたいけれど、営業されているだろうか。されていたとして、歓迎してくださるだろうか。
ちょっとドキドキしながら、当日の朝、お電話をしていた。
すると、とっても明るい女性のお声が。
「営業していますよー! どうぞお越しくださーい!」
うれしくて、ナミダがでそうだった。
お蕎麦屋さんが、お元気に営業されている。
今日のお昼は、小鹿田のお蕎麦だ!
ということで。
店内に入ると、とっても活気がある。
「飛び鉋」の湯飲み茶わんが無造作に積まれ、「お水はセルフサービス」とのこと。
お蕎麦が、ありがたくて、愛おしい。
小鹿田の空気も一緒にスルッと吸い込んで頂く。
うーん、おいしい。お蕎麦って、こんなにおいしいものなの?って思うほど、おいしい。ちょっと甘めのそばつゆにも 心がやすらぐ。
暑くてヘロヘロになっていたけれど、元気もたくさん頂いた。
このお蕎麦屋さんのお化粧室は川沿いに位置しており、”雨の被害のため” 使用できなくなっていた。お蕎麦屋さんの はす向かいに、真新しい公衆トイレが設置されていたのは、このためだったのね、と思う。
きっと自治体も個人も、みなさんができ得る対応を、懸命に、急ピッチで進められているのでしょう。
先ほどは辛い写真ばかり記録したけれど、一方で、元気に歩み出している里の姿もあった。
ギーーゴットン。
ギーーゴットン。
あの、唐臼の音だ。
こうして川の水力を利用して、約1ヵ月もの時間をかけて原料の土を砕くのだ。
一昨年訪れたときには、あちらこちらで響いていたこの唐臼の音も、今はさみしい。
けれど、ずっとずっと 守られてほしい音風景が、こうしてすこしずつ戻ってきているのだ。
小鹿田の唐臼は、里の80歳の大工さんがすべてお一人で造られていると聞く。修理もその方がすべてされているそう。里の復旧は多くの人の力がなければ成し得ないけれど、39の唐臼すべてを蘇らせるその大工さんの存在を、忘れてはならない。
そして里には、天日干しの光景も。
雨じゃないから、台風じゃないから、観ることのできる光景。お天道さまの恵みも、小鹿田焼つくりに欠かせないものだ。
豪雨の爪痕を目に焼き付け、一方で稼働する唐臼の音を聴きながら、天日干しされるうつわを眺めながら、小鹿田の里を歩いた。
そして私は2軒の窯元のお宅で、うつわを購入した。いずれも無人の販売コーナーで、チーンとベルを鳴らすと出てきてくださったのは奥さまだ。
1軒目。1つ 450円の小皿を、2枚購入した。(たった2枚…!)
お釣りはいりませんという気持ちで千円札を1枚差し出すと、逆に「ちょっとだけ、気持ちです。」とおっしゃって、200円のお釣りをくださった。
100円玉が、ずっしりとして、そしてあたたかかった。
2軒目。千円台のゴマすり鉢と、同じくマグカップを購入したら、「遠くから来てくださったんでしょう? 」と、2色の釉薬がかかった可愛い小皿を1枚、プレゼントくださった。
被災前だったらあり得ないような、スカスカになってしまった商品棚から取り出してくださったものだ...。
小鹿田のうつわは、その作業工程を鑑みると、これでいいの?と思うようなお値段だ。このような時に、そこからさらにお心遣いを頂くなんて、恐縮してしまったけれど......でも素直に頂戴した。
小鹿田の方からの、あたたかいお気持ちなんだもの。
「昔はね、雨が降ったって、こんなことは無かったんですよ。」
「ちょっと前にも、被害にあったばかりだと思っていたんですけれどね…。」
「ずいぶんひどい被害が報道されていたんでしょ? 驚かれたでしょう?」
お言葉の一つひとつが、心にしみた。
購入したうつわと、頂いた小皿はみんな飛び鉋。
たいせつに、たいせつに、使おうと誓う。
けれど、形あるものはいつか壊れるもの。民藝品のうつわは日常で使い込み、欠けてしまえば惜しみなく別れを告げるものだとも思う。金継ぎなんかをして使い続けるものではない。(と私は思っている。)
だから。 私はまた小鹿田を訪ねて、どんどん 新しいうつわをお迎えしたい。
購入することが、里の存続と発展の支えにつながるのだから。
私のnoteは、読んでくださる方がそんなにいっぱいいるわけではない。
けれど、ご縁あってこの長文を読んでくださっている方へ。
今回のnoteは、小鹿田焼のことと、その里の現状を少しでも知って頂きたくて書きました。
たった2度しかその里を訪ねたことのない私ですけれど、そして土砂を取り除くお手伝いはできない私ですけれど、わずかでも小鹿田の応援に繋がればという願いを込めて綴っています。
まずは「小鹿田(おんた)焼」という名前をおぼえてくださったら うれしいです。大分県、日田市の山深い里で焼かれているうつわです。
一子相伝で受け継がれ、外からの弟子も一切受け付けずにご家族だけでつくられています。
そして、もしも機会がありましたら…。小鹿田焼のうつわを手に取っていただけたらと思います。
日田の山里まで行かれるのは難しいかもしれないけれど、時には(稀かもしれませんが)各地で小鹿田のうつわに出会える機会もあります。
手に取られたら、きっと、温度を感じることでしょう。人肌よりも あたたかく、でも決して熱くはない温度です。ぬくもりって、このことかなって思います。
これからも、小鹿田焼の里が元気にあり続けるために。貴重な文化が継承されてゆくために。
そして私たちが、小鹿田のうつわを知って、使って、心豊かに生活できるように。
いまの私にできることは、こうして拙い文章を書くことと、わずかながらのお買い物をすることくらいです。周知とか経済支援とか貢献とか、そんな言葉にはおよばない、ちっぽけなことです。けれど、それぞれの人が、それぞれにできる役割を見つけて支え合えたら。そんな気もちで綴りました。
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おしまいに、小鹿田焼の里の麓の、これまた深い山あいにある 小鹿田焼ギャラリー「鹿鳴庵」さんの写真をたくさん。
旅行前のやりとりを、ありがとうございました。
そして、とびきりステキなひとときを、ありがとうございました。
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今回の記録は、今年8月12日現在の様子です。
現在は、より復旧作業が進んでいることでしょう。
小鹿田焼の里の一日も早い復興を、心よりお祈り申し上げます。
❑5日目:8月12日(土)晴れときどき曇り。
佐賀県有田町 → 大分県日田市の小鹿田焼の里で唐臼の音を聴く。
次回はやっと、最終回です。
今回も長くなりました。
最後までご覧くださいまして、ありがとうございました。