4000ドルを掴めなかった
今週末は幕張でMTGのプレイヤーズコンベンションがあってtwitterのフォロワーが行っていたり、知り合いがlolの大会に出ていたりと自分の周囲で競技色の強いイベントが多かったらしい。
競技としてゲームに取り組むのは一時期少しだけやっていたことはあって、Magic The Gatheringのガチめの大会に出たり縁があってLoLのコミュニティ大会に出たりしていた時期があった。
一番真剣に取り組んだのはMTGの方で、なんでやろうと思ったのかはちょっとあまり覚えてない。当時店舗大会くらいにはよく出ていて、ちょっと背伸びしたくなったのかもしれない。当時Magic OnlineでちまちまオンラインでMTGをやっていてたのだけれど、カードレンタルをやっているサイト主催の無料で参加できるManaTraders Seriesという大会があってそれに出ることにした。
しかもうっかり優勝しようものなら賞金4000ドルということだったので夢もある。
大会の紹介記事があったので貼る。
この大会はフォーマットを変えながら毎月開催されていて、気軽に出れはするものの、一ヶ月かけて予選を行って突破条件に達した人たちで月末に2日に分けてスイスドロー(規定回数試合して勝率を競う)と決勝トーナメントの本戦を行うというなかなか長丁場のものだった。
予選の形式としては開催時間に大会サイトでInQすると試合のマッチングをしてくれて、最低10戦して70%以上の勝率を出せば予選を突破できる。最低10戦ということろがミソで、別に10連敗しても期限内に頑張って取り返すことも可能だし、20戦以上した人は65%以上、30戦すれば60%と必要な勝率は緩和される。とはいえMTGのBO3(MTGはBO3が主流)で30戦もやって6割勝つのはなかなか難しい。
MTGの試合は結構時間がかかるので、10戦すればぶっつつけでやってもまあ5時間前後くらいはかかる。10試合やってだめなら諦める人も結構多かったと思う。
自分はこの大会に二度出ていて、初回は10試合して5勝5敗くらいで諦めた。問題は二回目で、これが練習のかいあって8試合終わった時点で7-1の戦績を叩き出して文句なく突破した。週末の一晩を”勝つため”のカードゲームに明け暮れて、終わった頃には昼頃だったと思う。マッチング可能な時間に指定があって、これが日本時間だと深夜1時から13時までなのでなかなか日本から参加するのは生活のリズムが狂ってしまうのが辛いところだった。
予選が開始されtすぐに突破を確定させたので、本戦まで4週間ほど時間があった。どれくらい真剣に準備していたか、もうちょっと思い出せなくなってはいるけれど、夜な夜なMagic Onlineに潜ってはデッキの回し方を詰めていったり仮想敵の理解を頑張ったり、他のプレイヤーが同型のデッキで結果を出したときの記事を読んだりして一人でできることはそこそこ頑張ってみてはいたような気がする。
調整手伝ってもらったり助言をもらえるような仲間がいるわけではなかったので、手探りでできる範囲のことをやるしかなかった。
独りで”勝つため”にカードゲームをするのは結構しんどくて、自分のプレイに問題がなくても運だけでぼこぼこにされ続けたりも平気でするし、負け続けてしまうと調整やメタ、デッキの理解が本当にあっているのか、運で負けているのかもだんだんわからなくなってきてしまう。
あとMagic Onlineは負け続けるとゲーム内通貨が一瞬でなくなって、連鎖的にリアルマネーもそこそこ飛んでしまうので、生活に支障があるわけではないけどこれもかなりメンタルにくる。
途中からはもう負けると罰金を取られるみたいな感覚になってしまっていた。
カードゲームはやっぱりメンタルゲームみたいな側面も強いので、心が弱っていると勝てるものもの勝てなくて、練習してる間は正直あんまり勝ってなかったように思う。
本戦当日は決勝トーナメントまで残るぞ、という強い気持ちを持てていないくて、一勝くらいはできるかもしれないけどまあさくっと負けて終わるだろうなと言う感覚だった。運に強烈に左右されるゲームだし、予選ラウンドがあまりに出来すぎていた。順当にさくっと落ちてそれが当たり前だろうと。けれどその日はリチャード・ガーフィールド(MTG作った人)が少しだけ自分に微笑んでいたらしかった。
快進撃だった。
初戦をうまく拾ったときに何か手応えらしきものを感じ、2戦目の同型対決を制したところで今日は何かが違うかもと感じ始めた。
3戦目はフィーチャーマッチで、主催の公式配信で実況解説がついていた。相手のデッキは正直自分があまり練習できていない、と感じていた種類のデッキで、かなりの判断ミスを繰り返して落としてしまった。うまくやれば勝ちの目もあったかもしれない。あとで配信のアーカイブを観てみると、英語の会話の中で自分の名前が何度も出てきて、ソワソワと居心地が悪かった。
3戦目は落としてしまったけれども、その後も自分は勝ちを拾い続けた。もちろん全勝とまでは行かず、途中で少しは負けたりもしたけれど、一晩かけて、日の昇る時間までデッキを回し続けててスイスドロー9回戦を走りきった。
スイスドローの通算成績は6勝3敗に落ち着いた。
信じられないぐらい勝った。4-1くらいのときにもしかして自分少しはMTG強いのか…? と初めて思ったかもしれない。終わったときには流石に疲れ切って昼すぎまで寝ていたはず。22時スタートだったので日本からだとどうしても徹夜コースになる。なかなか過酷な夜だった。
そんなわけでこのときのManaTraders Seriesは6勝してスイスドローを突破できず終わってしまった。
えっ? って思われるかもしれないがこのときの足切りラインの上位8位に入るには最低7勝(しかも7勝だとオポネントってやつしだいなので、確定で通過するには8勝必要だった)必要で、見事に1勝足りずに足切りになってしまったのだった…リチャード・ガーフィールドはたしかに微笑んだけど微笑んだのは"少し"だけだった…
確定した最終的な順位は42位だった。スイスドローだと勝利数が同率の人が結構多いので、1勝違うだけでかなり順位が変わってしまう。このときの本戦の出場者は250人ほどで、予選も含めると1000人くらいはたぶんいたんじゃないかと思う。予選は人数を確かめようがなかったので、感覚にはなってしまうけど。
決勝トーナメントに出れはしなかったけど、それなりに満足のいく結果だったとは思う。現金は貰えなかったものの、主催のサービスで使える数千円分のクーポンを貰ったりして、少し嬉しかったのを覚えている。優勝とまでは言わなくても、入賞して現金を掴んでみたかったけれど。
4000ドルの後ろ髪くらいまでは指がかかっていただけに、あのときああしていれば、という反省や後悔も少しは尾を引いた。
いい景色を見れた、とは思うのだけれど勝たないといけないという気持ちでゲームをするのはやはりしんどくて、その後はあまりたくさん大会にでていない。一応また一ヶ月くらい準備をして日本選手権の予選などにでたりもしたのだけど、滑りに滑って速攻で敗退してしまった。
最近は自分にそこまで余裕を作れていないこともあって、なかなか腰が重くはなってしまっているけれど、あの緊張と緩和を繰り返しや、信じられないような大勝、もしかしたらマネーフィニッシュに手が届くかもしれないという地点が見えたときの高鳴り、そういった景色や体験をもう一度したくないのかと言われれば少し嘘が混じる。
勝ちへの義務感もってゲームに取り組むのはしんどいけれど、またやろうという心の余裕や元気が持てたらMTGに限らず参加したいとは思う。
MTGをそこそこやっている人にしかわからない話だけれど、当時大会でやっていたフォーマットはモダンで、握っているデッキはエルドラージトロンだった。《大いなる創造者、カーン》やトップデッキで駆けつけた《全ては塵》が自分をあの体験まで連れて行ってくれた。だからこのアーキタイプには今でも少し愛着があるし、機会があれば現代版にアップデートされたものを使ってみたいとも思う。
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