宮という名はないけれど

 似て非なるもの。それはこの世の中に、溢(あふ)れんばかりに存在している。けれども、それらが決して同じではないことを、皆よく忘れる。似ていても、それはこれとは確かに違う。貴方にも、伝わるといいのかもしれない。小さくて大きな違いが。願わくは、それが貴方や私のしがらみを軽くしますように。
 その人は、初めて会った時から不思議な引力のある人だった。奥ゆかしいけれども陰湿(いんしつ)ではなく、上品でありながら愛嬌(あいきょう)もあり。相反(あいはん)するような要素が、不思議と見事に調和していて。その危ういような絶妙な調和に、つい目が離せなくなってしまうような、そういう引力。それが、新しくできた姉妹にはあった。母が亡くなった後に父は、夫の蛍兵部卿宮(ほたるひょうぶきょうのみや)を亡くしていた、今の継母(はは)と再婚した。新しい姉妹は継母(はは)の連れ子である。姉と私と宮の姉妹は年頃も近く、打ち解けるのに時間はかからなかった。何よりも、彼女の手から生まれる素晴らしい音色の数々に、私も姉も夢中になっていた。彼女は姉妹であり友人であり、私たちの素敵な先生。それは、私の、多分姉にとっても、穏やかで大切な記憶。
 連れ子の私にできた、二人の心優しい姉妹たち。母に顔を見られるのでさえ恥ずかしがっていた私を、楽器の師とまで慕ってくれた温かさ。裳着(もぎ)を無事済ませてからは、もうこの時間は長く続かないと、気づいていた。華やかで明るい義姉(あね)は、東宮(とうぐう)へと入内(じゅだい)していった。良い事と悪い事は、違うのに背中合わせにいる。寂しいのだ。残された私達姉妹は二人とも。幸せの手順はこの世にはびこっているのに、その手順で幸せになれると限らないと思うのは、私が私だからなのか。みんな本当はそうなのか。確かめて聞きようがないから、私にはわからない。私が苦手に思うことは沢山あって、その近くには嫌だと思うことも沢山ある。けれども、苦手な事と嫌なことは少しだけ違って、それが本当は大きな差になっている。苦手なこと全てが、そのまま嫌な事ばかりではない。わかっているはずなのに、見過ごしがちな気持ち。私はきっと、結婚というものに向いていない。それは母も思っている事だろう。でもそれは、嫌という訳ではない。しなくてもいいとは思う。でも、してもいいとも思う。ただ私の中の優先順位が、他の人よりもずっと低いだけ。そこではないところで、きちんと私は幸せを受け取れている。仮に受け取れなかったとしても、それを私は、恨みはしない。結婚も家族も、音楽も。何を幸せに思うかなんて、私にもわからないときがあるのだから。
 張り詰めた弦(げん)を爪弾(つまび)くと、甘い音色が緩(ゆる)やかに広がる。時に清廉(せいれん)に、時に力強く。同じ楽器、同じ人が奏でているとはとても思えない。筝(そう)の琴も、琵琶(びわ)の撥(ばち)さばきも、あの宮の妹は抜きんでていて、私たちはその音が大好きだった。今は遠い懐かしい音。新しいことは寂しさを紛らわしてはくれるけれど、埋めてはくれない。これはもう、あの子たちの形の思い出になってしまっている。亡くなった母のことも。おそらく記憶は上書きよりも、横に追加していく方が得意なのだ。並べていくうちに、その中に楽しさや寂しさ、懐かしさを見出したりして。そうやって、何はなくとも日々を増やして、それを幸福と呼んでみたりするのかもしれない。いつか東宮様(とうぐうさま)に頂く日々も、あの方だけの形にきっとなる。
 今日も、末の弟は匂宮様(におうのみやさま)からの文を持ってくる。結婚に向かない私を紅梅(こうばい)に例え、芽吹かせようとしている。義理の父がこのこと知るか、宮様が本気で申し込めば、私もやすやすとは逃れられないだろう。そもそも嫌なのではなく、結婚に関心がないだけなのだから。そうなってしまったなら、きっと私はその中で生きていくのだろう。結局はどこへ行っても、私は私でしかない。誰のことを思っても、私から生まれ出る物はきっと私の形のまま。誰もがみな、それぞれの形を差し出して場所をお互いに空けるのだ。私は私の形しか渡せないのだから、あの人が求める形ではきっとないのだろう。それでも、空けるも空けないも私たちの自由だ。 私は私、貴方は貴方が決めること。覚悟できている。その感情が何に分類されても、私は負けない。私たちはいつも幸せになりたいと生きているけれど、なれなくても生きていていいのだから。日々は何がなくとも、私たちを待ったりはしないように。

                 <完>

参考文献 源氏物語六~九 瀬戸内寂聴訳

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