私につながる点ー国際協力との出会いー
2005年と2006年の間、高校受験を控えたある日、テレビで「世界がもし100人の村だったら」という番組を見ていた。
そこではフィリピンのスモーキーマウンテン(ゴミ山)で生活すると、コンゴ共和国の金山で働く子供の話が取り上げられており、その番組を見終わった後に、自然と頬を涙がつたっていて、「私がこの世界を変えなきゃいけないんだ」と強く思ったことを、その時の部屋、自分の位置、感情も含めてすごく鮮明に記憶している。
その後、高校受験が終わるころには漠然と、社会を変えるなら政治家かな!と、今こうして書くことすら恥ずかしいくらい無計画な大志だけを抱いていた。
高校1年生となった2006年春、忘れもしない瞬間に出会う。
それなりの進学校に入ったものの、周りのレベルについて行けずにいじけていた私は、現代社会の授業中、先生が話していることをろくに聞かず、指定された資料集のページを開き、さして興味が湧くわけもなく、続きをペラペラとめくっていた。
HUNGER MAP 世界食糧計画(WFP)が毎年発行している世界の飢餓状況
この地図は、ヨーロッパが地図の中心となっている…つまり、アフリカ大陸が真ん中にあり、その「アフリカ」という遠く離れた場所は、もっとも気が人口が高いことを示す「赤」で塗りつぶされていた。
ー頭をよぎるコンゴ共和国の児童労働の話ー
はっ!!とそこから食い入るようにそのページを読み込み「絶対にアフリカで働くんだ」と決意したことが、後にも先にも、私が最初に「アフリカ」に夢中になり、目指すきっかけとなった瞬間だ。
大学受験が目前に迫る高校3年生。図書館に通っては、国際協力関連の本を読みあさり、どういった仕事があるのか、自分は何に一番興味を持っているのかを常に模索していたと思う。だけど、結局「どの分野」で仕事がしたいか、なんて、たかが17歳の自分には決められるわけでもなく、もっと貧困の勉強がしたい、貧困を取り巻く状況はどうやって生まれるのか、なぜ社会はそんな立場の人を助けないのか、という、憤りにも似た感情を抱きつつ、大学受験当日を迎えたことを覚えている。
当時、図書館で読んだ本から得た情報から、女性の家庭内での地位や子供の貧困、紛争、経済格差など、なんとも幅広い分野関心が高く、とにかくアフリカの貧困について勉強したい一心で、千葉大学を受験した。
入学した後、当時の千葉大学ではアフリカに関連する講義はほとんどなく、東南アジアにフォーカスしていたり、国連開発計画(UNDP)で働いた経験のある教授はいるものの、国際経済の分野に長けていたり、女性のエンパワメント関連では日本に焦点が当てられていたことを知り、いつものノリと勢いで入学したことを悔やむ自分がいた。
そして、アフリカへの思いなんてそっちのけで、サークル活動に精を出したり、学生団体を立ち上げて全国を夜行バスで行脚しまくる日々を過ごしていた。そんないわゆる「リア充」として動き回った1年目は、ろくに授業も出席せずに、初めての一人暮らしでとにかく遊び通して、好きなことをたくさんした気がする。
でも、心の中にはいつも「アフリカが見たい」「途上国の現場が見たい」という、今にも消えそうなほど小さいのかもしれないけど、燃え続けていたのは確かだった。
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