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【第8回】けれど、だからこそ、わたしは彼をあのように残酷に切ったのだ:「二人、いつか稲穂が輝く場所で」

 わたしが田守を切った日から数週間後。田守は出勤時間に、販売所にやって来なかった。田守に連絡をしたけれど携帯は鳴るばかりで一向に応答しない。

 業を煮やした田守の上司は、田守の部屋に向かった。室内には、酒の空き瓶が散らかっていて、携帯電話はちゃぶ台に置きっぱなしになっていたそうだ。部屋の隅には小さな箱が転がっていて、その中には指輪が入っていたという。

 押入れのふすまは明らかにこぶしで破ったと思われる跡がいくつもつき、室内には紙くずが散乱していたそうだ。それはある女性タレントの雑誌記事や写真で、その女性タレントは田守がわたしに似ているとよく言っていた人間だった。

 その切り抜きは、全てびりびりに破られ、中にはライターで焦がされたものもあったそうだ。実家に連絡をしても、田守の居所はわからず、そのまま田守は仕事を首になり、住んでいた部屋も先日実家の人間がやってきて引き払ったそうだ。

 男は、説明を終えた後、こう続けた。

「俺とあいつ、実は小学校の同級生だったんだよ。何年も連絡してなかったけど二年前かな。この辺でばったり会って。で、話聞いたら今仕事がない、っていうから。だから、うちの販売所を紹介したんだ」

 そんな話を聞きたくはなかった。残酷に切った人間のことなど忘れてしまいたかった。けれど、男は放心したような顔で話を続けた。

「小学校の頃、あいつ、いじめられてたんだよ。なんていうか、今でもそうだけど、人との距離感を上手く読めない奴だろ、あいつ。そういうの子どもの時ってちょっとしたきっかけで許せなくなるから。ずいぶん酷いことされてたんだ。髪、切られたりとかしてた」

 脈略のない思い出話を、彼は続けた。まるで通夜のようだった。わたし達は確かに、今、田守を弔っていた。田守は死んだ訳ではないだろう。でも、同時に田守はいつ死んでもおかしくはないだろう。わたしも、そして、彼もそれを知っていた。

 彼が、また話を続けた。

「俺は別のクラスだったし、全然関わったことがなかったんだ。でも、顔はなんとなく覚えてたから『元気かよ、久しぶりだな』って声かけて。その時、すごいあいつ怯えてたんだ。でも、その後に俺に言ったんだよ。『声をかけてくれて嬉しかった』って。『同じ学校の奴とちゃんと話したことなかったから』って」

 あぁ、とわたしは息を吐いた。その言葉は余りにも田守らしく、その田守らしさはとても愛らしいものだった。けれど、だからこそ、わたしは彼をあのように残酷に切ったのだ。田守は、初めて出会ったものを親と信じ込みついていく鴨の子どものような人間だった。

 一人、思考に沈み込んでいたわたしを、男はちらりと見た。男が持ったままのグラスは空になっていた。お酒、足しますね。わたしはそう言って彼からグラスを受け取った。氷を放り込み、酒を注いだ。

 男は酒を作るわたしの手元をうつろに見ていた。そして、彼はこう続けた。

「あいつ、ちえりちゃんのこと、こう言ってたよ。『初めて会った時、ちえりちゃんはにこにこ笑って僕の横に嬉しそうに座ってさ。で、一緒に飲めて楽しいね、嬉しいね、って言ってくれたんだよ。僕、女の子に笑いかけられたの初めてだった。あんな風に僕の話を嬉しそうに聞いてくれた女の子はちえりちゃんが初めてだった』って」

 酒を注ぐ手が震えた。ウィスキーが手にかかった。中の氷がかちかちと音を立てた。わたしは眉を寄せ、唇を噛み締めた。痛い程に噛んだ唇の隙間から、わたしは声を絞り出した。

「そんな」

【9に続く】


※注:こちらは、2012年に出版したわたしの自伝的小説『腹黒い11人の女』の出版前に、ノンフィクション風コラムとしてWebマガジンで連載していたものです。執筆当時のわたしは27歳ですが、小説の主人公が23歳で、本に書ききれなかったエピソードを現在進行形で話している、という体で書かれているコラムなので、現在のわたしは23歳ではありません。

 小説版『腹黒い11人の女』はこちら。奄美大島では、名瀬と奄美空港の楠田書店さんで売っています。

さて、前回予告した「キャバクラ嬢の罪深さ」にスポットを当てた、Webコラムにしては長い短編の第8回です。

全11回の予定で、すべて原稿はあるので、随時アップしていきます。

胸が痛むけれど、気に入っている短編でもあります。
よろしければご覧くださいませ。

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三谷 晶子
いただいたサポートは視覚障がいの方に役立つ日常生活用具(音声読書器やシール型音声メモ、振動で視覚障がいの方の歩行をサポートするナビゲーションデバイス)などの購入に充てたいと思っています!