【奄美大島で視覚障がい者の母と広告制作会社をやりながら暮らす話】④加計呂麻島から奄美大島に引っ越してきてよかった理由
前回はこちら。
前回は、加計呂麻島から奄美大島へ来た理由、インターネット回線への不安についてとコロナ禍の時の状態についてお話しました。
今回は、実際に加計呂麻島から奄美大島に引っ越してきてよかったと思う理由についてお話していきたいと思います。
インターネットの状態
人口5万人ほど、山がちな地形の奄美大島。奄美大島でもインターネットが不安定な場所はあるそうですが、私が現在住んでいる奄美大島の中心部では、光回線が通り、速度も安定しています。
母と仕事を続ける上でマストのインターネットの状態が安定しているのは、まず何よりでした。
賃貸物件の状態
加計呂麻島には、まず不動産会社がなく、人づてに今ある民家を借りるしかありません。かなり古い物件が多く、シロアリにやられて柱の中がスカスカだったり、中には床が抜けている物件もあり、雨漏りは日常茶飯事です。家賃が格安な分、それらを自分で修理して住んでいくのが一般的でした。
私自身は、家の古さは気にならず、居心地よく住んでいました。しかし、古い家は段差が多いもの。また、当時私が住んでいた家は、お風呂場が一度庭に出てからでないと行けない場所にありました。
火を使う場所が居住する場所と離れているのは、奄美群島の古い家ではわりとありがちで、それはそれで海から帰ったあとにそのままシャワーを浴びられるなどの利点もあります。
しかし、視覚障がいを持つ母と暮らすとなると、家の中の動きやすさを考慮しないと母の生活に影響が出てしまうのは想像がつきました。
台風の問題
奄美群島には台風がつきもの。今年も台風が多かったのですが、古い家だと台風の風や波、屋根や柱のきしみ音が激しくなるものです。
目が見えにくい母は、健常者より音声に頼って暮らしている部分が多くあります。
実際、私と母が現在住んでいる家は、築年数はあるもののきれいにリフォームされている物件なのですが、やはり、それでも母は台風の雨風の音が怖かったようです。 リフォームされていない古い家だと、さらに母の不安が増大している可能性があっただろうと思いました。
停電の問題
また、台風時につきものの、停電の問題。島に限らないとは思うのですが、人口の少ない場所、交通の便が不便な場所は、どうしても停電の復旧が遅くなるもの。実際、私が住んでいた時、加計呂麻島では三日間の停電があったことも。
今年、9月の台風でも、現在、私と母が住んでいる奄美大島の都市部でも、ちらちらと停電が起こりました。数分で元に戻る程度だったのですが、それでも母は不安だったようです。
私自身は、今回の台風は、加計呂麻島で9年住んでいた時に、たくさん近隣の方に助けて、教えていただいたので、それほど不安はありませんでした。
しかし、島に住み始めてすぐの母からしたら、どうしても不安はぬぐえないものでしょう。
不安を数えてしまうこと
私個人の考え方としては、不安を数えあげることは好きではありません。
コロナ禍で書いたnoteでも取り上げたRENT『Seasons of Love』の歌詞にもあるように、一年は52万5,600分。その数は、誰もが平等で、だからこそ、この一年をどのように数えるかは自由です。
しかし、奄美大島に引っ越してきてまもなく、しかも、60歳の時に障がい者認定を受けた中途視覚障碍者の母としては、見えにくくなった視界と始めての南国の台風が重なると、どうしたらいいのかわからなかったと思います。
インターネット回線、賃貸物件、台風、停電と、視覚障がい者の母と暮らすにあたっての物理的な部分での加計呂麻島と奄美大島の違い、引っ越してきた理由をお話しました。
次回は、中途視覚障碍者とは、また、同行援護とは、についてをお話したいと思います。
こちらの記事はstand.fmにて、私自身が読み上げているものとAI音声読み上げ機能で作成した音声を配信しています。
母と暮らすようになって、音声読み上げ機能を使うことも増えたので、こういった機能はぜひ進化してほしいところ!
私自身の声での番組はこちら。
AI音声読み上げ機能での番組はこちら。
【今日のつぶやき】
やっぱり、加計呂麻島から奄美大島、視覚障がい者の母と広告制作会社ってもうこの4つの要素の時点で情報量が多い! が、個人的なnoteだし、まあ、ゆっくり……。
次回は、私もまだまだ勉強中の母が中途視覚障碍者であるということ、そして、視覚障碍者の方が受けられる同行援護というサービスについてをお話できたらと思っています。
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