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【第7回】「悪い事なんか、忘れたい事なんか、ひとつもなかったです」:尻軽罰当たらない女

 未成年の家出少年を匿うのはまずい。そんな当初の気持ちを私はさっぱり忘れていた。けれど、永樹には、家族から捜索願いが出ていたようだった。ある日、家に帰ると、永樹がうな垂れて床に座り込んでいた。

「純さん、俺、見つかっちゃった」

 携帯のGPS機能を、永樹はずっとオフにしていたのだが、操作を間違えてオンにしてしまったらしい。捜索願いが受理されると、警察から携帯電話の会社にデータの提出が求められるそうで、そこから、現在地が割り出されたのだ。

「明日には、親が迎えに来るって言ってる」

 永樹の言葉を、私は呆然として聞いていた。

「何処に住んでたかとか、今までどうしてたかを聞かれた。そして、純さんの携帯番号を言われて、この電話の相手は誰だって言われた」

 通話履歴から、私の番号と個人情報も割り出されたのだろう。そう思いながら、私は無言でいた。

「お世話になった人なんだ、迷惑はかけたくない、って言った。そしたら、じゃあ、戻れって。本当なら、未成年略取誘拐で訴える事も出来るって。でも、今戻るなら、何も言わないって」

 初めから、知っていた。この生活がいつまでも続く訳がない。そんな事ぐらい、わかっていた。けれど、もう少しと思っていた。あと少しと思って、私は見てみぬ振りをして引き伸ばしていた。

「俺、でも……」

 永樹が、噛み締めた唇の間から搾り出すように言った。私はその言葉を遮り、言った。

「わかってた事じゃん」

 明るい口調で、続けた。

「最初から、このままでずっといられないのは、永樹も知っていたでしょ。リハビリ終了って事だよ。いい機会じゃん」

 顔を上げ、笑顔で言った。すると、永樹が顔を上げて言った。

「最初はそうだったかもしれないけど、でも」

「でも、じゃないよー。年上の言う事は聞いておきなってば」

 また、言葉を遮り、永樹の肩を小さく突付いて私はそう言った。

「年上とかそんなの関係ないじゃないですか」

 永樹が、語気を荒げて言った。

「あるよ」

 私は、静かに続けた。

「永樹はまだ高校生で、やらなきゃいけない事があって、こんな風にだらだら暮らしてちゃいけないんだよ。それぐらい、年上の分、わかるよ」

 そう言うと、永樹が驚いたように顔を上げた。私は、笑顔のまま続けた。

「もう、行かなきゃ」

「嫌です」

「駄目だってば。行かなきゃ」

「まだ、リハビリ終わってない」

「大丈夫、もう終わってる」

「終わってないです。俺、ここにいたい」

 私は、永樹の胸に体を預けた。そして、小さく呟いた。

「終わったよ」

 その言葉に、永樹は体をびくつかせた。でも、と言いかけた言葉をまた遮って私は口を開いた。

「永樹、今、戻りたくない、じゃなくて、ここにいたいって言った」

 私の言葉に、あ、と永樹が声を漏らした。

「だから、終わったんだよ。リハビリ、終わったんだよ」

 永樹が、私の体に強く腕を回した。

 迎えが来るのは、昼過ぎだと永樹は言った。私達はその晩、ベッドの上で絡み合って過ごした。

「初めて純さんとした時、セックスってこんなに気持ちいいもんなんだ、と思った」

 息を切らしながら、永樹が言った。

「それは光栄だなぁ。鍛えてきた甲斐があった」

 私は、永樹の上に乗ったまま、体を折って永樹に口付けながら言った。唇を離すと、永樹の不服そうな顔が目の前にあった。

「鍛えたって何なんですか」

 唇を尖らせて、永樹が言った。

「まぁ、いろいろだよ」

 そんな会話をしていて、ふと思い出した。

「いろいろ、よろしくしちゃおうか」

 初めて会った日、私はそう言った。

「いろいろ、よろしくしちゃったね、私」

 永樹が、私の腰を強く掴んで頷いた。

「いい事なのか、悪い事なのかわからないけど」

 私は、吐息の隙間からそう続けた。

「悪い事なんか、忘れたい事なんか、ひとつもなかったです」

 永樹は、目をつぶり、微笑みながらそう言った。

【8に続く】


こちらは、わたしの二作目の小説、『腹黒い11人の女』の登場人物のひとり、純を主役にした、恋愛アンソロジーコラム『君に会いたい』に収録されていた短編小説『尻軽罰当たらない女~腹黒い11人の女~』の再掲載です。

小説版『腹黒い11人の女』はこちら。

恋愛短編小説集『君に会いたい』はこちら。ともに絶版になっているのですが、古本ではお買い求めいただけます。
そのうち、どこかでまたまとめられるようにしたいと考えています。

こちらの短編小説『尻軽罰当たらない女』は、全9回です。
どうぞよろしくお願い申し上げます。

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三谷 晶子
いただいたサポートは視覚障がいの方に役立つ日常生活用具(音声読書器やシール型音声メモ、振動で視覚障がいの方の歩行をサポートするナビゲーションデバイス)などの購入に充てたいと思っています!