半分イタリア人の娘の恋愛観が、ある意味かなり達観していた件
普段は「イタリアで、ローマで、シンプルで素朴で豊かな毎日を送るには」ということをなんとなーく頭に想い浮かべながら日々を過ごしつつ、わかったこと、やってみたこと、感じたこと…などなどをここに綴ろうと思っている。
しかし最近、イタリア人の父と日本人の母から生まれた娘(間もなく3歳6か月)を見ていると、とにかくおもしろくてしょうがない。
どんな子にも「こういう部分はお父さん譲りなのかな」「そんなところはお母さんに似ているね」ということがあると思うのだが、我が家の娘の場合は両親の性格や育ってきた環境のみならず、日伊両国の国民性がありありと出て来る場面が多々あり、夫もわたしもあるときには大爆笑、あるときには唖然としつつ、娘の一挙手一投足を本当に興味深く感じるのだ。
というか、ほんの1,200日くらいしか生きていないのに娘にとっては両親の目や肌、髪の毛の色が違うのも当然、それぞれから全く違う言葉で話しかけられるのも当然、世の中にはいろいろな価値観、文化、作法、考えかた…(と永遠に続く)があるのもごくごく当然で、あらゆるものごとを「そういうもの」として吸収し、自分の中で自分なりに消化している彼女を見ると本当に不思議で、同時に感嘆に値するのである。
…と、前置きはさておき。
娘が「あい」に出会うまで
物語という観念が理解できるようになった娘は最近、ディズニーの長編映画のフル鑑賞を楽しめるようになった。
きっと自分もちょっと懐かしい気持ちに浸りたかったのだろう、夫は「ピーターパン」「おしゃれキャット(←わたしは1回も見たことがなかったのに、イタリアでは誰もが通る道らしい)」「ジャングル・ブック(←以下同文)」「ライオン・キング」「ムーラン」…と、有名どころを片っ端から娘に見せたのだった。
好きな色はピンク、動物の中で特にお気に入りなのはユニコーン、スカートやワンピースが着られないと一気に機嫌が悪くなり、今年のカーニバルでは妖精のコスチュームを着て楽しそうにはしゃいでいる娘は、その言動や嗜好からこれまでの社会通念をそのまま受け継いだ、いわゆる「ザ・女の子」であろうと想像してはいたのだが、やはりその通り娘は「シンデレラ」「美女と野獣」「リトル・マーメイド」といったプリンセスが主人公の作品に王子様が登場し、紆余曲折がありつつも最後は2人が幸せに結ばれジ・エンド―という王道のシンデレラストーリーにロマンスの美しさを見いだしたらしいのだった。
プラトンやカントといった名立たる哲学者ですら答えを導き出すのに生涯を費やし、21世紀のこの世の中でも年頃の男女を大いに悩ませ惑わす「あい」だの「けっこん」だのという話を娘が生後たった3年で認識しはじめたので、そんなことはもっともっと先の話だろうとタカをくくっていたわたしは予定を大幅修正しなければならないことに面喰らい、ちょっと焦ってしまったほどだった。
そんなこんなでお送りしていたある日、遊んでいた娘がたたたーっとかけ足でキッチンにいる夫のところへやって来て
わたし、おおきくなったら、おとうさんとけっこんする
と言った。
南極並みに冷えた心の持ち主であるわたしも女の子ならではのそんなエピソードについてはもちろん存じあげており、そう言われたお父さんが感動のあまり目に涙を浮かべたり「娘がいつか彼氏を連れてきたら、ただじゃおかない!」と決意したりするらしいということも、事前に把握はしていた。
とはいえ、いざ自分の娘がそんな可愛らしいことを言うなんて…と思った瞬間、不覚にもわたしまで胸がキュンとしてしまったのである。
予想だにしなかった夫の回答
愛する娘からプロポーズされるなんて、夫はさぞうれしいことだろう…と思っていると、視線の先で晩ごはんの準備をしていた夫は間髪入れず、娘に真っ向からこう言い放った。
あ、あのね、もうお母さんと結婚してるから大丈夫、もういいよいいよ
いつかプリンスに出会うことを夢見る3歳の娘に向かって、あまりにも現実的で完全無慈悲な返答をする夫。
絶句である。
しかも、そのトーンにはそこはかとなく「結婚って本当に大変なんだよ、想像できないほど大変なんだよ、だから、したいならよーく考えてそれを理解したうえで、自分の責任でしてちょうだい」というメッセージすら漂っている。
さすが、この世で何よりも苦手なことは空気を読むこと&周りに配慮することであり、夫が演奏するクラシックのコンサート会場で開演間近の時間に少しずつ電気が消えはじめ、ホールの空間が静まり返り「さぁ、いよいよ幕が…」というタイミングで人目もくれずにすくっと立ち上がり、携帯電話のシャッター音を容赦なく響かせながらおもむろに写真撮影を始める義父の血を引いているだけはある。
わたしは想像の上の上をゆく展開に、思わず娘に同情してしまった。
これでは、娘があまりにもかわいそうだ。
「シンデレラ」は「願いは、信じればいつかきっと叶う」、「美女と野獣」は「外見ではなく内面にこそ、人間の真の価値がある」、そして「リトル・マーメイド」は「一途に想いを貫く、それが本当の愛なのだ」…という生きる上で本当に大切なことを(ちょっと商業的なやりかただけれど)きちんと教えてくれているではないか。
ディズニーの魔法を容赦なく破壊する、夫のリアルでドライすぎる一言に娘が傷ついてしまったとしたら、希望を持てなくなってしまったとしたら…と思うと、ちょっと「いたたまれない」では済まない。
わたしは5分前にキュンとした胸に、何かが悲しくちくちくと響くのを感じた。
からの、娘の逆襲
そして2日後の朝。
生後6か月のときからわたしたちと別々に寝ている娘が1人で起きて、わたしたちのベッドルームにやって来た。
やりたいことやエネルギーをフォーカスする対象が定まると著しくテンションが高くなり、結果として睡眠時間が激減する夫はなぜか5時に起床し、畑に水をあげに行ってしまったようだった。
2日前の夫の言動に心が痛んでいたわたしは、その後も気丈で朗らかにふるまう娘が不憫でならず、娘を抱っこしてベッドに呼び寄せ、おはよう、とごあいさつをした。
そして朝ごはんの準備でもしようかな…というところで、わたしの耳に入ってきたのは
そうだ、きのう、クラスのNくんにけっこんしようっていわれたの
(Nくんは娘と「ケンカするほど仲がいい」関係を構築しており、nidoの先生はもちろんのこと、Nくんファミリー全員もそれ認めているほどである)
という、聞き捨てならない娘の仰天発言であった。
寝起きで頭が半分ボケているわたしにとっては、青天の霹靂である。
いや、ちょっとすみません、あなた、つい48時間前まで「おとうさんとけっこんする」っておっしゃってましたよね?
事情が全く把握できないまま目の前の娘に「ほぅ、そうだったんだね、で、何てお返事したの?」と聞くと、
Siiiiiiiiiiーーーーーーーーーー(Yeeeeeeeeees)!!!!!!!!!!!
あまりの展開に、わたしはひっくり返りそうになった。
ほろ苦い失恋の翌日、さっさと別の彼に乗り換えて結婚を決めてしまう娘。
この、なんともさわやかであっけらかんとした引き際のよさ、そして切り替えの早さ。
実にお見事であるとしか、言いようがない。
満面の笑みを浮かべる娘にわたしの心にも一気にすがすがしい青空がやって来た…と同時に、娘には「自分に揺るぎない自信を持ち決して自分を安く売ることはせず、狙った獲物は絶対に逃さない肉食系イタリア人女性」の血が流れていることを心から実感したのであった。
15年後に彼女の相談に乗れるだけの恋愛力がわたしに備わっているとはとても思えないので、先手を打ってどうしたらいいか考えておこうと思う。