靴下くんは、冒険に出かけた
畳んだ洗濯物は、とりあえずカゴに入れておく。全員分の洗濯物をまとめて入れて、後で各々の収納場所へしまいに行くのが我が家のルーティーンだ。
実はこのカゴ、片っぽうしかない靴下の「とりあえず」の置き場としても重宝している。
片っぽうしかない靴下を、しれっと家族それぞれの靴下保管場所に入れてしまうこともできるが、急いでいるときに「靴下、片っぽかいーーー!」となるのは気の毒でしょう。
片っぽうしかない靴下。
どこに行っちゃったんだよ、相方は。と、しげしげ見つめる。
「泳げたい焼きくん」という歌がある。昭和の真ん中あたりに、大ヒットしたらしい。実家にもレコード盤があった。
毎日毎日、鉄板の上で焼かれて嫌になった「僕ら」=たい焼きは、ある朝店のおじさんと喧嘩して、海へ逃げ込んだ、という歌だ。
いなくなった靴下も、この心境だったのだろうか。
毎日毎日、靴という暗闇に押し込められて、人様の足から毎日1リットル出ているという汗を吸って、とうとう嫌気がさしたのだろうか。
かつては、靴下屋の店頭をきれいに彩っていたのに。
いつも瓜二つの相方と一緒に笑っていたのに。
相方と「暑いね」「臭いね」「辛いね」と愚痴り合い、慰め合えたら、こんな苦境でも頑張れただろうけど。
もう、限界だーーーーー!
と、お天道様にさらされている間に、脱走したのかもしれない。
なぜそんなことを考えたかというと、これまでに何度かモノの「神隠し」に遭遇したからである。
いつも使っている道具が忽然と見当たらなくなり、「どこいったー?毎回同じところに片付けているはずなのにー」とあちこちひっくり返して探すも見つからない。徒労と気づいて諦めた数日後、あるではないか。そこ、探しましたけど?という場所に。すました顔して。何事もなかったかのように。
そういうこと、ありませんか?
その回数が増えるにつれ、わたしはだんだん自分の過失というよりも、「神隠し」なのではないかと考えるようになった。その思考の果てが、今回の「靴下くんは、冒険に出た」である。想いが強いモノたちに、神様が力を与えたのかもしれないなと想像したのだ。
「すずの兵隊」というアンデルセンの童話がある。
あの兵隊は、風に煽られて窓から外へ落ちたことになっているけれど、やっぱり外の世界を体験したかったんだと思う。
我が家からは、3足の靴下くんが冒険中だ。
それにしても長い冒険だ、どこまで行っているんだろう。
というか、そろそろ本気で探したら?