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【子育て】〜待ちぼうけ〜小さな理不尽と子ども達

正午と夕方の間、小2の息子が学校から帰ってきた。
「ママ、今からみんなをうちに呼んでもいい?」

「みんな」というのは、帰り道がほぼ一緒の小2メンバー。幼稚園から一緒で、お互いの家をしょっちゅう行き来している。

「いいよー、だけど、、、、、天気がいいし、外で遊んだら?」
「でもみんなが、うちに来たいって」
「そっか、まあいいや。うちで遊んでいいよ!」

待ち合わせは近所の公園らしい。そこで「ママOK」の報告をして、ゾロゾロ4人で来るという。
少し前までは「子どもとはいえ」とサササーと掃除をしていたが、もう慣れっこメンバーだしとオンラインの勉強会に戻る。(勉強中だったんかい)


勉強会に聞き入って数分、ふと気が付く。
あれ、なかなか来ないなあ。
待ち合わせの公園は近いのに、いつもだったら「秒」の早さで「お邪魔しまーす!」ドドド…と部屋になだれ込むのに。おやおや?

と、ちょっと気になり出した頃、坂道の下の方から、「ワイワイガヤガヤ」の会話が少しずつボリュームを上げて近づいてきた。
来た来た。

そこからは怒涛の如く。ご想像通りでござる。

あれ、でも予定の4人より2人少ない。男女の双子ちゃんが来ていない。
「あれ?2人は?」
「待ってたけど、来なかったから、もううちに来ちゃった」

あー、それで遅かったのかあ。何か用事があったりしたのかな。

それからしばらく室内で遊び、最近ブームの「警察ごっこ」が始まったので、「警察ごっこは公園でしよう!」と3人を外へ引っ張り出した。
散歩ついでにと私も出かけた。子ども達の遊びに同行するのは久しぶりだ。

小2ともなると、子ども達は勝手に遊び出す。アイデアを出し合い、ルールを決めて、意見の食い違いがあったら円陣を組んで話し合う。
私はその様子を見るのが好きで、しばしば公園についていく。
私自身の疲れが浄化される気がするし、生活リズムにも弾みがつくから、一石二鳥だ。

17時30分になったので、帰宅の途に着く。

その途中、きょう待ち合わせ場所に来なかった双子ちゃんの家の前を通ったら、
「あ、石田! あ、○○○も!」と
ひょこっと2人が現れた。

息子とお友達が「なんで来なかったん?」と聞いたら
「行きたくなかったから」とあっけらかんと笑って答える。

「そーなん? じゃ、またな、バイバーイ!」
息子の回答もあっけらかん。

* * * * *

帰宅後、きょう一緒に遊んだお友達のママさんからLINEが届いた。
「きょう、2人が来なかったから、みんなで待ちぼうけ食らったみたいだね。どうしたらいいんだろう」という内容だった。

うーん、そうだなあ。待ちぼうけ。確かにそうだ。一見、気の毒だ。
でもこの待ちぼうけ、スマホが当たり前の今となっては、貴重な体験のような気がしてならない。

私は想像するのだ。
「2人がなかなか来ないねえ」と言いながら、3人は2人に起きたことを想像し、「いつまで待つか」を話し合ったに違いない。
「うちまで呼びに行こうか」とか「2人が好きな公園で待とうか」とかアイデアを出し合ったのではないだろうか。

そこに大人がスマホという最強最新・便利ツールを持ち込み、「行きたくないから来ないって!」「はい、解決!」と近道を示すのは簡単だ。
今の社会ではそれが当たり前でそれが正解。

いや、もっと考えさせて。
想像させて。
遠回りさせてやって。

タイパとか、子どもに当てはめないで。

* * * * *

「待ちぼうけ」って、子どもが耐えうるだけの優しさもある、小さな小さな理不尽の一つだと思う。

小さな理不尽をたくさんこなす。これが子どもの胆力や生きる力、果ては社会や人々を理解する縁(よすが)になると、私は思うのだけどなあ。

ママ友さんが言うことも理解できる。
だけど、同意はせずに、「『子どもあるある』かなあ」と軽くお返事した。

また遊んでね。

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