【49歳のつぶやき】走っている人か、急いでいる人か

どうやら歩くことは、身体にはもちろん、脳にもいいらしい。
ということを「運動脳」という本で知った。

今まで生きてきて、もやもやしたりアイデアが浮かばなかったり筆が進まなかったりしたときに、「気分転換してこよ!」と出歩くことは、とても有効だとは知っていた。(知っていたというより、実感があった)
だけど、私の実感ではあくまで「リフレッシュ」効果だけで、本に書かれているような効果があるとは思いもしなかった。

本に書かれている効果、とは、脳にまつわる病気を予防する、改善するといったことで、実は薬よりよっぽど効果が期待できるとのこと。なんとまあ。

プラス、「運動脳」の本に記述はないが、更年期の辛さを和らげる・回避する効果もあるという。
歩かずにおられよか。

走る+歩くの組み合わせが良い、らしい


もともと歩くことは好きなので、機会を見つけては歩くようにしていた。毎日の楽しみの一つは、スマホの万歩計で歩数を確認することっていうくらい。
なので、これまで通りの「歩く生活」をもう少し強化すればいいのだと思う。
が、より高い効果を得るには、ランニングが良いらしい。ランニングが無理な人は、ランニングとウオーキングを組み合わせるのがベスト。息が弾むくらい走ったり、呼吸を整えるために歩いたり、緩急をつけることが、自律神経を整えるそうだ。

うーむ。
ウオーキングとランニング、大した差はないように思えるけど、私はすこし困ってしまった。
誰も気にしていないことは重々承知だが、公道を走っている自分の姿をどうすべきか、気にしてしまうのです。
歩いている人は、まあ普通にいる。というか、公道の人はみんな歩いている。歩く人は、公道に行く。
でも、走っている人は? なぜ走っている?

走っている人か、急いでいる人か


なぜ私は、堂々と「走っています」とできないんだろう。
若見えするランニングウェアを身にまとい、幅広の日除けサンバイダーで顔を覆い、最新のランニングシューズで颯爽と公道を駆け抜ければ、完璧じゃないか。

と、自分Aが言っている。

しかし、自分Bが反論する。

もったいない。そんなん揃えるの、お金がもったいないでしょ。歩くことは無料でできる健康法だからいいのに、そこに投資するのはどうも気が乗らない。
だからと言って、普段着で走っている姿って何か不自然じゃない? 普段着の人ってランナーっぽくないよね。いいじゃない、ランナーにならなくても。「急いでいるおばちゃん」でいいじゃない。「ああ、子どものお迎えに遅れちゃう」っていう、夕方になると近所のあちこちに出没するおばちゃんでいいんだよ。ね。

今は自分Bに軍配が上がり、スマホと水筒を入れたハンドバッグを片手に、ウオーク&ランを繰り返す日々。
「ああ、子どものお迎えに遅れちゃう」と急いでいるおばちゃんに見えているだろうか。

しかし一方で、堂々たるランナーに羨望の眼差しを注いでしまう。
自分Aがのし上がってくる日は、遠くないのかもしれない。

「急いでいる人」から、「走っている人」に、いつか堂々となりたいものです。

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