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物欲がほぼない私が雷に打たれたかのような衝撃を受けて文字通り「衝動買い」したのさ

20代はコーヒーのおいしさが分からなかった。30代になって、アイスコーヒーは「おいしい」と感じられるようになった。40代になって、ようやくホットコーヒーも飲めるようになってきた。50歳になった今、牛乳多めのカフェオレが大好きである。

コーヒーのおいしさを、香りや苦味などで理解できるようになって10年ほど。夫は昔から無類のコーヒー好きなので、数年前に手動のミルを購入した。やはりコーヒーを淹れる直前に「ガリガリ」した豆は違う。お湯をポトンと落とした時の膨らみ方が違うし、その瞬間から広がるコーヒーの香りは格別。自己満足と笑われるでしょうが、我が家のコーヒーはスタバに負けていないと自賛している。

さて、その「お湯をポトンと落とす」というのが、実は非常に難しい。だから、細ーいお湯が出るヤカン、正式名称「ドリップポット」というものを、私たちは所望した。
ドリップポットの魅力は、お湯が細く出ることだけではない。姿形が良い。ドリップポットを使っているだけで、万人がコーヒーと時間を堪能する文化人に見える。あなたも私も、おじさんもおばさんも、たちまち絵になる。ドリップポットを持っていれば、自分の格が上がる、ドリップポットが上げてくれる、という期待を抱く日本人のなんと多いことか(と、チコちゃん風に言ってみた)。

だから、お店やネットで物色したのだが、どうにもしっくり来ない。なぜピンと来ないのか、それはすぐに分かった。置き場が想像できないからだ。
「買ったところで、どこに収納するのさ?」問題が浮上したのである。
注ぎ口も、ハンドルも、流麗な曲線を描いていて、それはそれは優雅ですこと、なのだが、そのために必要なスペースが半端ない。食器棚を整理してなんとか納めたところで、流麗なはずの曲線に引っかかったり落としたりする無様な姿が目に浮かぶ。

そもそも、そもそもですよ。ドリップポットはゴチャゴチャした空間の隙間を縫って、収納するものではないと私は思う。余裕を醸し出さなくてはいけないのだから、一幅の絵画を扱う丁寧さでもって広い空間に鎮座させねば。美術館のように。

残念だけど、我が家とは相性が良くないっぽい。だから私はドリップポットのことはとっとと諦めた。従来のどっしりとしたヤカンを駆使して、なんとか「細長いお湯」を出すように努めたのだった。絵になんかならなくたっていい、そんなものは忘れた、という態度で。

前置きが長くなったが(ほんとに長いな)、そんな時に出会ったのがこれだ。

シンプル!


コーヒーカップとほぼ同じ大きさ

お気づきでしょうか。ハンドルがございません。注ぎ口の流麗な曲線はしっかり健在していますが、ハンドルがないだけで圧迫感が軽減されるものなのですね。

この「コレス コーヒードリップポット」をとあるお店で見つけた時、全身に衝撃が走った。
「これは、、、これだ!」
私は滅多に衝動買いはしないのだ。だけど、これは迷うことなく購入した。
そしてその決断は大正解だった。

このコーヒードリップポットが我が家に来てまだ3日ほどだが、すでに使い勝手の良さに感動している。
決して絵になる姿とは言えないが、毎朝のコーヒータイムが格段に楽しくなった。

「正しい衝動買い」ができて満足している。

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