性分は変わらないまま、変わり続ける
わたしは今まで目の前のやりたいと思ったことに飛び付き、がむしゃらに駆け抜けてきました。
看護師になると決める
遡れば、高校生。
野球部のマネージャーになりました。
そこで、部員の怪我やメンテナンスができない自分に対し、大切や人が困っているときに役に立ちたいと思って母と同じ看護師になることを決めました。
そして、大学受験
進路を考えたとき、やっぱり専門学校やら短大じゃなくて4年制大学に行こう、
しかも、なんか新しくてヨーロッパ風の建物で、神戸にあるおしゃれーな感じの大学を見つけて、絶対ここがいいとかなり不純な動機で思ったのでした。
学校って志望校書くじゃないですか。
それ、不純な動機ベスト3を並べて書いてたから、
『いやー、あなたの成績では難しいから滑りどめの学校は短大を受けた方がいい』と散々進路指導の先生に言われまくり、E判定続きの自分の現実を見たものです。
でも、何くそと思ってたんですよ。
受かりゃあいいんだから、推薦で何がなんでも受かってやると思ってから、
英論文と小論文の試験にむけて、
当時野球部の副顧問だった英語の先生に頼み込んで
英論文+小論文をほぼ毎日読んで書きまくり、
先生にこの文章はまどろっこしいから、
もっと分を短く端的に、等と指導をうけました。
これは、どうなんだとか修正が多いと時には拗ねていじけて、それでも付き合ってくれる先生。
自分も途中で、これやってて意味あるんか?
これと同じのが出るわけないし、他の教科と違って答えはないからやってても身に付いている実感がないわけです。
みんな、必死に5教科の勉強して、てわたしは他の教科の勉強もしてましたが、推薦にかけてたので身が入らず、、
結局、勉強する教科としない教科をはっきりさせて
分からんところは徹底的に先生に聞きまくり、突き進んだのです。
そして、迎えた推薦入試。
まったくできた感覚はないのだけど、
書いてきた分、どんな文を書こうとも自分の芯のようなものは書けたような気がしたんです。
それから、意気込みがちがいますよね。
推薦で受かるしか、後が無かったのはお分かりの通り。
合格しました。
猪突猛進の性分
昔から、やると決めたことは本気でやってきました。
そして、それには運がついてきました。
意識しないもの、想いがのらないものは、全くといっていいほど運はついてこない。
これはもう、感覚でしかないのですけど。
なので、本気でやれなくなったら、
続けられない。
まさに猪突猛進で、やると決めたらやる。
やめると決めたらやめる、なんです。
看護大学を卒業してから、看護師として働くのも連続で三年が最高。
トータルしたら5、6年はありますが、、、
わたしの人生は目の前のやりたいにとびつくため、
看護師やって、中国留学して、また看護師やって、発達教室開いて、赤ちゃんタッチと保健師やって、発達する眼鏡屋になって、今香りや占星術を使ってセラピストを始めている。
外側から見たら、バラバラで続かない人なので、『またか』と『なんでそうなるの?!』あきれ半分に言われます。
でも、自分でもどこに向かっているか分からない。
これは、本当に悩みましたがどうにもてきない性分で、なんとか続けよう、落ち着こうとあがいても無駄でこんな自分で生きるしかないのです。
ただ、わたしのなかでは一貫性があるのですよねー。これでも。
周りの応援と申し訳なさと自分への降参
大学受験のときもそうでしたが、本気になったら周りは応援してくれるんです。
それを見ていた人達から、人の時間を使うのは、もっと慎重にと指摘を受けることは度々あり、そうなのか、もっと気を付けないとと反省したりもしましたが、、
教えてくれた方々は、快く教えてくれていました。
嫌な感じのエネルギーはひとつも感じなかった。
本気であれば、それを相手も受け取ってくれるのです。
人生で身をもって経験しています。
その時が本気である分、常に変化し続け、
その結果、早い段階でもう次に行こうとするとき
本気を受け止めて教えてくれた方々の顔が浮かびました。
あんなに本気で教えてくれたのに、こんなに早くやめてしまっていいのだろうか。
わたしは非常な人間なのではないか。
みんなそこから極めようと精進するのに、自分はなぜ続けられないのか?
それでも、本気を大事にした分、わたしから本気が失われると、もうやれなくなる性分を【だめなやつ】とするのは
簡単で楽な道なのですが、
不器用極まりないやりかたで、それも抱えて自分をまた楽しく愉快な世界に連れていってやるしかないんです。
お陰さまの人生だから
お陰さまの人生だから、
今の自分を否定しないでやさしくやさしく。
お陰さまの人生だから、
周りは自分そのもの、大切に。
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