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人間のもつ感覚をとりもどして生きる

これからAI技術はますます進化していき、
こんな文章ひとつとっても、いいね!の数やアクセス数を集める記事なんかの分析をして、
一般大衆が好むような文章をAIがつくりだすだろう。
売れるためのノウハウも、
ビジネス成功の秘訣なんてものも、、


人の頭にある知識と一緒のようなものは、
文章でさえもAIがすべて勝る。
そんな時代がやってきたら。

AIと人間が書いた文章をどうやって見分けるのか。
見分ける必要がでてくるのか。
AIは私達を助けてくれるものでもある。
だからこそ、どう使うのか。
何に価値をおくのか、は
一人ひとり違い、
選べる時代になるんだろう。


多くの情報のなかで
見えないものを感じとる、
感覚を研ぎ澄ますことで
選択するしかないじゃないか。

それは私たちがもつ肉体で受けとる感覚、
心で感じる感覚、
そして魂で感じる感覚。

そのどれが抜けていても
バランスが偏るような、
それでいて、
どこかに得意な感覚があり
自分の個性でもあるような
人間に備わる感覚。


人のもつエネルギーは
文章に表れる。
わたしのこの拙い文章にも、
今のわたしのエネルギーがのっている。
すべて丸見えなのだ。

表現するということは、
今の自分そのものを出す、ということ。
文章構成を考え、
ノウハウをつかい、
きれい言葉に整えて、
どう取り繕っても、
それが自分として出る。

感覚に蓋をし続けると
見えないものを感じる力は
受け取れず自分で選択できなくなるだろう。
多くのひとが言っていること
地位がある人、みんなが支持する人、
社会的影響力のある人、、
そんな基準で判断し続けることになるだろう。
それしか分からないから。

感覚に蓋をし続けると
どこかで偏りを修正するように
私達は自分自身で気づけと
サインを送る。

それでも無視し続けて
何事もなかったように過ごすのは
生きていると感じるのだろうか。
不快な感じや心地よさを感じているはずなのに
無いものとして
肉体を動かし続ける。

何のために生まれてきたのか。
喜びや悲しみ、
たくさんの感情を味わいながら
自分というものを知り、
よくもわるくもそんな自分と死ぬまで付き合って
いくのは自分だけなのだ。


感覚をとりもどそう。
自分をとりもどそう。

自分は何を見て喜び
何を見て嫌悪を感じるのか。
何を聞いて心地よく
何を聞いたら耳を塞ぎたくなるのか。
どこに行けば落ち着き安心し
どこに行けば危険を感じるのか。
どんな過去を回想して温かいと感じ
どんな未来を描きわくわくするのか。

遠くに独り歩きさせる感覚ではなく
自分の身体に一致させていく
身体にじわじわと広がるその感覚を
感じよう。

自分へのメッセージも込めて。

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