フリーレンから見た死生観
先日
フリーレンを好きな人たちが集まる場に参加することがあり
そこで感じたことを
今日は書いてみます。
オンラインという
文明の力を使って
フリーレンという
共通の話題を共有できること
そこでは
年齢の幅も大きく
親子世代
私からすると
孫世代の人もいるような中で
フリーレンという作品について語れるって
かなり貴重な体験でした
作品を見るのが
年齢や
立場的からとか
いろんな違う視点で見ることを教えてもらって
また
フリーレンを見る目が違う
また
違う視点で最初から見てみたいな〜と
純粋に
フリーレンが可愛いと思いながら見る子供視点
時代考察を入れながら見る視点
ヒンメルの婚活?視点
などなど
見る人によって
視点が変わると
作品自体の印象も変わってくるぐらいなことになるんですよね
アニメそのものに詳しい人たちは
別の作品と比べてみることもありますし
作品の構成そのものを考える人もいますし
ここNOTEにも
たくさんの人が考察をかきこんでるので
なるほど〜!!!と思わせてくれるのが
リアルで感じられるのがありがたいですね
一粒で2度美味しいどころか
一箱以上に美味しい思いをしてると思います
そういう考察ができる話だからこそ
たくさんの人がみる作品なんでしょうね
真面目な話もあるけれど
そこ?
みたいなツッコミどころもあるし
シュタルクのボケとか
いい味出してますからね
純粋にそこで笑えるのも楽しい
私は死生観について話したんですが
というのも
看護婦という仕事をしてたので
人がなくなる場面に立ち会うことがあったからです
そこからこの話はその視点で見る感じですね
なので
今回お話をさせてもらう中で
改めて自分の死生観とフリーレンについて考えてみて
他の方々の見方もあるけれど
その視点で見るのも面白いし
それも入れつつ
自分なりのフリーレンを楽しもうと思いました
この物語はまさに
ヒンメルがなくなるシーンから始まりますからね
それも寿命を全うしたヒンメル
まさに人がなくなってからの話
そこから
思い出を拾いつつ
新たな旅が始まる
私自身
還暦にもなると
死が近づいてくるわけです
周りでいなくなる人も出てきましたからね
そこで死というものと向き合うことで
私的には
この物語の一面が
死生観をみることになるんですよね
死んでしまったら
もう話せない
その人を知ることができなくなる
ただ
記憶の中にはしっかりいてくれて
場面ごとに
思い出すことで
その人がなぜそうしたのか
なぜそんなことを言ったのか
表情とか
後からでも
理解することができて
理解することで
自分はどうするのかの指針にもなるような
そんな存在だったことに気がつく
ヒンメルの場合
最近
ヒンメル語録として
ヒンメルならそうするっていうらしいですが
そうするって
同じようにするって
そうしたいって思えることをしているんですよね
目の前にいる困った人を助ける
それが
ヒンメルが日々やっていたこと
だから
魔王を倒すのに10年かかった
魔王を倒すのには10年かかったけれど
フリーレンからすると
10年で人を知ることなんかできなかったということだけど
まあこの時は人に興味もなかったので
仕方ないですよね
ただどこかで
人の寿命が短いって知ってはいたんだと思うんですよね
フランメが死んでしまったので
それが辛くて
フリーレンは人との関わりを避けていたかもしれませんね
人と関わると
どうしても
人が死ぬところを見ることになりますからね
それでも
ヒンメルたちと一緒の旅をすることになるのは
ヒンメルが
フリーレンを誘うことからになりますが
最初は断ったフリーレンだけど
人と関わりたくないと言いながら
人と関わることの楽しさを
どこかで求めていたのかもしれませんね
エルフは感情がないように見えて
長年生きることの辛さを
誤魔化しているのかもしれないなと
模倣体と戦った時に
模倣体は心がないという話もありました
心のないものは
本物でないし
心のあるものには
勝てないという
模倣体は強いけれど
それは単なる技だけだってこと
人は人と協力して
目の前の困難に立ち向かうことができる
それは
デンケンも言ってました
人ってそういうことができるんだと
ここが魔族との違いにも繋がってくるように思います
そして
試験にも残ったものは
合格者として認められることになりましたね
一人だけ合格するのではなく
何人も残ることができました
魔法の高みというタイトルがつけられてた回がありましたが
困難に立ち向かうからこそ
自分の限界を超えることができる
それをフェルンは
感じたんでしょうね
それを楽しんでさえいるフリーレン
楽しんでいるからこそ
そのさきを見たいと思えるし
それができることを知っている
それも
ヒンメルたちと旅をしたことで
フリーレンは学んだところかもしれません
魔王をたおすための旅だったけれど
ヒンメルにとっては
フリーレンたちと
楽しく過ごすことが
もっと大事だったかもしれません
そして
目の前の人を助けることをやることが
それに繋がっていったんだって言ってるので
日々の行いが
最後に大きな成果に繋がるってことかもしれないし
最後に大きな目標を持っているからこそ
日々の小さなことを大事にすることで
遠回りのようで
確実に
その目標に近づいていくことになる
そういうことを言ってるのかも
そして
その過程を一緒に過ごした仲間がいること
その思い出が
宝物になる
楽しかった思い出を作る
そのための10年間
一緒に過ごしたからこその
宝物になる思い出
そして
勇者の剣が抜けなかった時も
本物でなくてもいい
本物と思われただけでいい
やったことには変わりないのだから
やり遂げることが大事で
人からの評価なんて
気にしなくていい
そんなことも言ってるように思います
ヒンメルのように生きること
それが人としての生き方として
ここで描かれているように思うんです
そのヒンメルを思い出すことで
フリーレンは
人を知ることになっていくんですよね
それこそが
ヒンメルの生き方が
勇者と言われることなんじゃないかな
人として生きる=勇者だよってことかな
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?