部活動における平等と公平を考えてみた
娘の中学の部活を思い出し、平等と公平について考えていた。
「平等と公平の違い」ってgoogle検索したら、AIさんが要約してくれた。
平等
定義:かたよりや差別がなく、すべてが等しいこと
考え方:個人の違いは視野に入れず、すべての人に同じものを与える
例:すべての従業員が同じ作業スペース、同じリソースにアクセスできる
公平
定義:かたよらず、えこひいきしないこと
考え方:個人の違いを視野に入れて、目的を達成するために適切なものをそれぞれ与える
例:リソースとスペースが、すべての従業員のニーズに適合したものになっている
さらに調べていく中で見つけた、東長良中学校校長先生のメッセージがとてもわかりやすかった。
一方、娘の中学の部活はこうだった↓
強豪校でもなく、県大会常連校でもない、中学からバレーボールを始めた子が1学年15人中14人のいたって普通の学校。
1年の時は平等ときに公平に指導してもらっていたが、
指導者が変わった途端、最初に身長や体格で選別した生徒にだけ箱(指導・チャンス)を与えるという指導に。
選ばれなかった生徒には何も与えないからスキルの差が広がっていく。
(娘は平等に教えてほしいと直談判したが聞き入れてもらえなかった)
いきなり「等しくなく、かたよりがある」状態で箱を与えられなくなった子たちはどうしたらいいのかわからず、頑張っても仕方ない、バレーボールが嫌いだと言うようになってしまった。
2年生になって自分たちの代になった途端にそれだもん、中学2年には対処しきれなくても無理はない。
部活指導員ハンドブックには中学部活動について下記のように記されている。
果たして指導に偏りがあるチームで、協調性、責任感、連帯感は培われるのだろうか。楽しさや喜びが味わえるのだろうか。好ましい人間関係が形成されるだろうか。
私が見た感じ、どれもこれも達成できていなかった。
高校でもバレーボールをやりたいと言う子はほとんどいない。
下の図のパターンの指導者は「勝つことで経過がチャラになって試合に出てない子もみんな喜ぶ」とでも思っているのだろうか。
その場は喜ぶかもしれない。でも心の底から喜べるだろうか。
しかしこんな記述もある。
誤りだって言いきっちゃってますからね!
勝利至上主義では部活に期待されることが達成できない。
とはいえ、平等に試合に出すことが正しいとも思わないし、やるからには勝つことを目指してほしい。
平等に指導し能力を見極め、
公平に指導とチャンスを与え、(やる気の差や態度も加味しつつ)
平等に勝つための選手を決める。
私的にはこの流れがベストだという結論。それが基本だとも思うけど。
公平に指導をされていけば、切磋琢磨できるチームになれる確率が上がり、チーム力が上がる。
みんなで戦うチームになれる。
中学1年の時からそういう指導をしていけば、中学2年でメインで活躍する時期に結構良いチームになっているのではないだろうか。
結果、娘たちの代は一度も県大会には行けなかった。
果たして部活で得たものはなんだったのか。
理不尽かな。
(我が家はたくさん話すようになり、親子の絆は強くなったかな。)
わくわく、頑張ることを楽しめる心を育てられるかは大人次第。
子どもが笑顔でチャレンジできるように大人が変わっていきましょう!
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