医者である前におばさんでありたい。
娘さんは涙をこすりながら、何かを吹っ切るように笑った。
「お母さん、がんになる前に先生に会いたかったって。」
数年前に私が担当した患者さんの娘さんが会いにきてくれた。患者さんが亡くなって2週間ほど経った、暑い夏の日だった。
「先生~会いに来たよ。」
当時の患者さんの顔が浮かぶ。
娘さんは続けた。
「でもね、『先生に会えたから病気も悪くない』とも言ってた。ありがとうね。」
私は恐縮と感謝を伝えたが、同時に違和感をおぼえた。医師になって15年、微力ながらがん治療を行っている。患者さんにとって私が大きな拠り所であることを理解して患者さんに接しているつもりだ。
しかし本当にこれで良いのかと疑問がわいた。この時の娘さんの言葉で、私は『人が病気になることを待っている』気がして、少し自分を疑った。私に会わないで済むのならその方が良いに決まっている。私の外来に来るということは治療が必要だということだ。これでいいのか。
そんなことを考えたのには理由がある。数か月前、私自身が体調を崩したことだ。私は物事を適当にできない性分のようで、自分の体を置き去りにして夜も寝ず、ただの日常生活に全力を注いでいた。それで入院になった。医者の不養生ではなくもっと次元の低い話だ。
これらのことがあって今後の生活や仕事について考え込んだ。いてもたってもいられず猛烈に勉強を始めた。『病気の人を診ること』のもっと前、つまり『健康な人を病気にさせないこと』についてだ。栄養、筋骨格、精神、ホルモン、遺伝、生活習慣。健康の成立は複雑で特別だ。ここで気づいたのは、自分が介入するべきは健康意識の高い子育て世代以降の人たちではないということだ。小中高生の若い世代に伝えたい。無知や無関心が、望まない未来を引き寄せることを。
本当に大切にするべきは自分の心身であり、それが大切な人を守ることにつながる。刹那的な満足感や流行におぼれず、自分の未来を想定して考えてほしい。食べ物一つ、行動一つ、背景も含めて選択していくことの大切さを、教育の一環として組み込む必要があるのではないか。
まずは病院にいる私が、病院に来る人を減らしたい。それが未来をよくするのなら、立ち上がろう。幸い、発信ツールはここにある。社会の子どもたちを守る1人の大人として、「いち医者」に「口うるさいおばさん」という肩書を乗せようとしているところだ。