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新しい戦後に向けて。

2022.12.30


磯崎新さんが亡くなったと、今朝聞いた。
この機会に、近くを通り過ぎながらも読んでいなかった『空間へ』の巻頭、「都市破壊業KK」を読む。
この小さな、起爆剤そのもののような文章が、終戦からたったの17年後に書かれたものであることに驚く。
終戦とは何だったのだろう。戦後、とは。

戦後とは、復興であった。白紙からの、無からの復興、成長、創造、であったとすれば、戦後、とはいつ終わったのか。
磯崎さんの、戦後たった17年後に書かれた都市の過剰、爛熟への予言めくこの小文の照射する距離からこの時代が抜け出たと言えるのだろうか、言えるとすれば。

思うのは、この夏の穏やかならぬ暗殺事件である。戦後の大きな闇が表に現れ、終戦から新憲法への転換では償いきれなかった日本という一国の罪の大きさが、社会の深いところで傷手となり巣食っていた、そのことが明るみに出た。

この小文、穏やかならぬ、murdererのそれのような文を読みながらどうしても頭に浮かんだのは、突如この年のこの大事件を、手元も狂うことなく遂行するに至った暗殺者の彼のことであった。
あの後程なくして誰かが、これでようやく戦後が終わったのではないか、と呟き、腑に落ちるものがあった。

タモリさんは、来年は新しい戦前になるんじゃないか、とふと洩らすように口にしたが、他方で戦後は、ようやく終わったばかりではないのか。
戦後が終われば、やはり遠く、または近くの戦闘を用意する、戦前になってしまうのだろうか。
人はまた、それを繰り返すのだろうか。
そうではない道を、'戦後'は、戦後の知性は、延々とまさぐってきたのではなかったか。
忘れるなかれ。耳を塞ぐなかれ。
新しいスタートは、どこへ向かうのか。

暮れのひととき宛てなく生じた、空白のような時間に書くソラ書きである。空に向けて

合掌


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