機能不全家族といじめと自傷|路上占い師がヒーラー見習いになるまで①
はじめに
この記事に興味を持ってくださり、ありがとうございます。
なぜ、これから数回に分けて自分の過去を投稿するのか?
…それは私も、他の人の何十年も続く家族、お金、病気、裏切り…などのいくつもの大きな苦しみを乗り越えてきた方々のお話を動画や記事で見たり聞いたり読んだりして、勇気を貰えたからです。
そして、自己開示をしてその話を受け入れて貰える事は伝える側にとっても、
癒しとなるのです。
なぜなら、
「あぁ、私の人生は間違えではなかったのだ。」
「全て意味あるものだったのだ。」と思えるからです。
もし宜しければ、記事をご覧頂けたら大変嬉しく想います。
抜毛症でストレス発散する小学生時代
【抜毛症】になってストレス発散していた小学生時代
機能不全家族で育ち、学校でも家も生き地獄だった。
家では両親と弟の肉体的精神的サンドバックになる毎日・・・。
サンドバックだけでも辛いのに、いつも母親の機嫌を伺っていた。
醸し出すオーラ、表情、口調に絶えずビクビクしていた。
言いたいことも言えず、思った通りの感情を表現することもしてはならないと制限をかけいていたのだと思う。
家にも学校にも居場所がない毎日。
行き場をなくした自分の気持ちを外に発散するために無意識に7歳で抜毛症に。
前髪が禿げ上がると、眉毛もまつ毛も鼻毛も体毛もむしりとっていた。
10歳の時に朝起きてから寝るまで泣き続ける時期があった。
とは言っても学校では余計にいじめられるから我慢していた。
ある日、どこのグループにも入れてもらえない辛い遠足から帰った実家で、
いつもの様に泣き始めた私を見て母親は、
「遠足行ってきて楽しかったんじゃないのかよ!」と金切り声を上げながら、物音で怒りを露わにした。
「お母様」と呼ばせる母親は常に感情的で金切り声で叫び大きな音を出して、
物に当たるので家でも気が休まらなかった。
フォークやナイフが入った瓶を顔面に投げ付けられた事も・・・。
弟は自分の思い通りにならないと暴れる事によって周囲をコントロール。
それを鼻をほじりながらTVに没頭して注意しない父親。
粉々に砕け散って、そのカケラも踏み潰され、更に感情のトイレの代わり。
私の心は死んだ。
真っ暗闇の幼少期・10代・20代・30代をなんとか生き抜いた
中学生の頃には身長145cmで既に50kg。
思春期の子供にとってはそれだけでも充分な自己嫌悪の要因の一つ。
以来、25年以上ダイエットを繰り返す事になるとは考えもしなかった。
高校生になり友達も出来たけど、
その頃には、身体中を傷付けるだけでなく髪の毛も切り落とした。
嘔吐をしていても、家族は気付かないフリ。
居ても居なくても同じなんだなと思った。
でも、居なくなる勇気とエネルギーが無かった。
入院をして高校中退後、通信制高校を卒業して大学へ進学!
なのに、せっかく入った大学でもクラスに馴染めず、
なんと必須単位だけを落とすという難関を成し遂げました。
第一志望で入学した大学だったけど留年する学費を用意出来ずここでも中退。
こんな事ばかり続いていたら自己肯定出来ないのも仕方がない。
「反抗期」も「友情」も「恋愛」も「お金」も「安心」も無かった。
この世を去ろうと何度も思ったし、実行したこともあったけど、
やっぱり勇気がなかった。
癒されない心はすぐにバテてしまう。
傷だらけな上にエネルギーもないのだから、毎日をこなすだけで精一杯だった。
そんな毎日が30年以上続いた。
もちろん現状を変えようとしたことも何度もあったけど、
「自己無価値観」「自己肯定感の低さ」を抱えた精神状態で更に失敗に失敗を上乗せして、負のループから抜け出せなくなっていた。
桜を見るのが辛い…何も感じられないから。
自分の心とのギャップがあり過ぎて
「大人」になって何年も経っても桜を見て明るい気持ちにはなれなかった。
桜だけじゃない。
クリスマスのイルミネーションも、バレンタインも、夏の陽射しも。
心が踊らない自分が悲しかった。
「悲しい」だけは何故か感じることが出来た。
でもそれは、夜があるから朝を認識できるように、
「悲しい」がわかるのは「幸せ」を知っている証拠だったんだ。
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