子供の頃のはなし (4) 祖母のおにぎり

少し前のドラマだけど『この世界の片隅に』がとても良かった。
先にアニメで話題になっていたようだけど、疎くて、それは観ずにいて、だから先入観なく前情報なくドラマを視聴していたのだけど、戦争中に日本で生活していた普通の人々の日常を丁寧に描いていて、それは亡くなった父方の祖母を思い出させるものだった。

今日は幼い頃に祖母から聞かされた太平洋戦争の話を書き留めておこうと思う。

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私の父方の祖父は身体検査で引っかかったらしく(痩せすぎ)運よく戦地に赴かずに済んだ人。
代わりに地元(関西方面)の軍需工場で働いていたらしい。
終戦間近の工場を狙ったアメリカ軍の空襲で「祖父は亡くなった」と聞かされた祖母は覚悟を決めていたらしいが、数週間後、ひょっこり祖父帰ってきた時は腰を抜かしたらしい。
事前に空襲に遭うかもしれないと察知した祖父は工場から逃げ出していたとか。とても悪運の強い人で、その後も大きな病気もせず、94歳の生涯を全うした。

父方の祖母は、まさにドラマの中の「すずさん」に重なる人で、戦時中三人の子供(私の父含む)を育てながら家のことや商売のことを切り盛りしていた苦労人だ。

田舎町だったが何度か空襲の被害を受けそうになったらしく、アメリカ軍の飛行機がシューーっと低く飛んで、防空壕へ避難するために走る自分たちの真上に迫る恐怖を何度も聞かせてくれた。

空襲警報が鳴る度に、病気で目が見えなくなって寝たきりになっていたお姑さん(祖父の母)を背中に負ぶって逃げたこと。

上の二人の娘(父の姉たち)を先に逃して、まだ乳飲み子だった父を抱え、飛行機が低空飛行した時は、父を道端の側溝に投げ入れ、その上に覆いかぶさるようにして守ったこと。
(ドラマの中で飛行機からの爆撃を避けるために、すずさんを側溝に押し込んで、上から周作さんが覆いかぶさるシーンがあったのだが、祖母が言っていたこと同じだ!と思ったのを覚えている。)

1945年8月15日、終戦の日。
暑い最中、幼い父を膝に抱えながら玉音放送をラジオで聞いたこと。

戦後の食糧難で、闇市で高価な米を買い、子供達に食べさせたこと。

戦争という非日常の中、どこかのタイミングで祖父や祖母が亡くなっていても全然おかしくなくて、そしたら父も生まれていなかったかもしれない。
『火垂るの墓』のように父が戦争孤児になって、飢えや病気で命を落とす可能性だってあった。
極限状態だったけど、親兄弟がみんな無事で、困難な生活を乗り切れたからこそ、父は命を繋ぎとめ、今私がここで生きていられるのだと思うと、本当に奇跡の連続だと思う。
この令和の時代を生きている日本人は、戦争で生き残った人たちから命を受け継いているのだ。




母方の祖父は太平洋戦争で実際に南方に出兵している。
でも、祖父から直接戦争の話を聞く機会はなかった。戦争の話をしたがらない人だったからだ。
激戦地だった南の島は亡くなった人の方が多く、祖父はよく生きて帰ってこられたと思う。
仲間もたくさん亡くなっただろうし(戦功をあげられた人はまだよくて、ほとんどが飢えで亡くなっている)、当たり前だけど戦争だから「人を殺す」という経験をしている。
祖父が私たち孫に戦争の経験談をしたがらなかったのは、おそらく「人を殺す」という話を避けることができなかったからだと思う。

何日も何日もジャングルの中を彷徨い、ろくに眠れず、ろくに食べることもできず、自分で捕まえた蛇や蛙も食したと聞く。(その後祖父は蛇や蛙が大っ嫌いになり、テレビに映るだけでも怯えたし、何度も夢の中に出てきて、夜中に叫びながら起きるからうるさい、と祖母がこぼしていた。みんなは笑い話にしていたけど、私は笑えなかった。)

祖父は京都の人だったのだが、晩年になるまで生き残った戦友たちと「靖国神社」にお参りに行く行事を欠かさなかったらしいし(私は祖父が亡くなってから知った)、「靖国で会おう」の約束は守られたのだな、と涙が出た。

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私は特別おばあちゃん子だったわけじゃないけど、父方の祖母のことが大好きで、人間として尊敬している。というか、身内の中で一番温かいものを感じる対象で、亡くなった今も特別な存在だ。

今でも祖母がずっと側にいてくれているような気がするし、守ってくれているような気がする。
それは「気がする」だけで何も確証はないのだけど、私の中でとても心強い存在で、そう思うだけで強くなれる時があるのだ。

祖母が亡くなって、私が結婚した後、祖母が私の夢の中に出てきたことがある。
私は見た夢をすぐ忘れてしまうし、あまり鮮明じゃないことが多いのだけど、その夢はとても鮮明で今でもはっきりと覚えているから不思議だ。

実家のダイニングテーブルの脇に立った祖母が、テーブルの上に置いた「おにぎり」を指差して、私に向かって「おにぎり食べなさい」と笑いながら勧めてくれる夢だ。
そのおにぎりは祖母が握ってくれたもので、白米が艶々していて、ふっくらしていて、とても美味しそうだった。
何より、少し腰の曲がった小柄な祖母が私を見ながら微笑んでいて、勇気づけてくれているような気がしてとにかく嬉しかった。

人は亡くなっても誰かの心の中で生き続ける事ができるし、生きている人は亡くなった人を心の支えにして生きる事ができる、と私は思う。

夢の中でもらった「祖母のおにぎり」は私にとって永遠だし、勇気の源だ。

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あきこ
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