怒涛の体調不良
9月は点滴が合わないことに気づき、計4回受けた高速点滴を中止しました。
メモを読み返すと9/13、9/17、9/21、9/24の計4回です。
そのメモには、『どんどん体調悪くなる』『こわい、なんで』の文字が
書き連ねてあります。
食事もまともに摂れず、一日中ぐったりの日々。
そのくらい点滴が合わなかったのでした。
点滴を中止してから芯から冷えるようなことが減り、
少しずつ落ち着きを取り戻したようにも感じましたが、
それでも相変わらずの体調不良は続いていました。
ある日、いつものようにタリージェというお薬を飲んでいて、これまたふと気づきました。
(タリージェとは神経障害性疼痛治療剤です。)
脳脊髄液減少症の痛みはカロナールやロキソニン、ボルタレンなどの消炎鎮痛剤が効かない場合が多くあります。
なのでタリージェを処方されていたのですが・・・
あれ・・・タリージェ飲むと、首痛くなる。。。
10月に入ってすぐのある日、いつものようにタリージェを飲んだ時
そう感じることがありました。
飲んだ後すぐに首がだんだんと痛い。。。
わたしは日々タリージェを飲んでいたのですが、
いつもこれだけだと痛いので
追加で手持ちのノーシンを常に飲んでいたので気付くのが遅くなったのだと
思います。
(わたしはアセトアミノフェンのお薬ととても相性が良いです)
もしかしてタリージェ合わないのかも…
この時ようやくこのことに気づきます。
ただでさえ弱っている体に合わないお薬を飲み続けていたので
副作用も強く出たのだろうと思います。
この頃の日記にはこう書いてあります。
10/2(水)
横になっても首痛い、気持ち悪い
どうしようもない状態
薬もなかなか効かず、デパスのみ多少の効果ある
聴覚過敏が辛い、脳を直接触られているみたい
とにかく辛い
体を脱ぎ捨てたい
終わりたい
入院まであと6日
耐えられるか
10/4(金)の日記
日に日に痛み強くなる
痛み。全身の倦怠感、気持ち悪さ
もう何でも症状が出てくる。
今日は発作強く、お母さんにずっと体中をさすってもらう。
冷え切った体が少しずつ暖かくなり、落ち着き始める。
10/5(土)の日記
夕方、痛みがどうしようもなく、発狂する。
母親が救急車を呼び共済病院へ運ばれる。
脳脊髄液減少症を理解しているドクターがいなくて
ロキソニン一錠のみで帰される。
どんなに泣いて叫んで強い鎮痛剤をお願いしても、
命に別状はないと言い返されるばかりで
絶望する。
もう生きていけないと夫に弱音吐く
お母さんに○ろしてくれと泣き叫ぶ
この頃のわたしの痛みは本当にどうしようもなく痛みのある部分には
いつもロキソニンテープを貼っていました。
燃えるような裂かれるような痛みです。
その痛みは首から腰にかけて背骨の右側に沿って痛むのです。
写真載せてみます。
わたしの入院は10/8~10/15でした。
なのでもう少しの数日間なのに、この数日でされ耐えられるか自信がなく
わたしはこの頃、無意識に夫に遺書を残していました。
今でもそれはわたしのスマホのメモに残されています。
この頃の記憶はとても曖昧で、メモや日記を読み返して
改めてこの頃のことを振り返ると厳しい状態だったことが
今になって冷静に分かります。
入院の前日の10/7に診察があり、その日大きな出会いが訪れます。
その出会いが今後のわたしの大きな転機に繋がります。