連作短編小説「婿さんにいってもいいか」7月

【七月 真夏の夜の…】

 まいった!
 まだ、耳の奥がジンジンしている。脳味噌まで震え上がっているようだ。
 敬太はホビにさされた左肘をボリボリかきながら、花火の余韻が残る夜空を見上げた。
 煙った空気が鼻いっぱいに流れ込んでくる。
 生まれ育った東京では、花火大会と言えば花火より人混みと車の渋滞が主役だった。だから『大江戸の大輪の花火』は会場には行かず、自宅のマンションから手のひらサイズの大輪を目にしたものだ。距離があって、ポーンと音がしてしばらくしてはじける大輪を。
 それが…。
 話には聞いていたが、ここの花火がここまで凄まじいものとは…!
 頭のすぐ上で炸裂し、火の粉が降ってきそうな勢いで、視界からはみ出るように夜空に花が咲く。
 パパパパパパパパパーッ!
 タタタタタタタタターッ!
 バババババババババーッ!
 空襲直下の町にいるようだ。(空襲された経験はないけれど。)機関銃の一斉射撃の的になってる気分だ。(そんな経験もないけれど。)
 これでもか、これでもかーっ!と頭上から降り注ぐ花火に、頭を抱えてひれ伏して「ごめんなさいっ、もう悪いことしませんっ!」と泣き叫びたくなるところだった。
 江の川の川原から打ち上げられる花火の数は決して多くはない。大江戸花火の比にもならないだろう。
 でも、このシチュエーション!
 切り立った川岸、町を囲むようにそびえ立つ山腹、それに反響して腹の底から響きわたってくる花火の炸裂音。風が吹かないと会場が煙ってしまって、次の花火の打ち上げを待たなければならないほど。
 「隣町の花火大会じゃあのぉ、」隣の土手に座りこんでいた若者が連れに言っていた。「持っとった生ビールのカップに花火の灰が落ちてきたんでぇ」
 きっと過剰な話ではないのだろう。控えている消防団の赤い車を見て判断できる。
 決して長時間にわたった花火大会ではないのに、終わったときには敬太の首はカチコチに痛くなっていた。そんな首をさすりながら、帰り道を急ぐ人の波に入る。
 この地域にこんな人が住んでいたのか?
 いつも何処にいるのだろう?
 なんて気にもなる人の波。
 夏休みに入り帰省してきた若者も多くいる。
 皆、楽しそうに笑顔いっぱいで。
 それなのに、たった一人で花火を見にきた僕…。
 敬太は、少し、哀しくなった。

 今日は『邑智郡内在住Iターン者交流会』が開かれていた。
 いろいろな行政の制度を利用したり、地元企業に就職したり、さまざまな方法で都市部出身の若者が邑智郡に移り住んできていた。年齢も職業も動機も異なるけれど、同じ時期に同じ地域の魅力にひかれ暮らしはじめた仲間だ。敬太もその中の一人。農業に興味を持って町の農業研修生に応募して来たのだ。
 今日の会合は農林水産省から派遣されてきた職員の呼びかけだった。彼の名前は森野大地。大地と書いて「オオチ」と読むらしい。山田家に滞在しているので『やまだのおおち』と呼ばれているらしい。まぁ、これは、また別の話だ。
 同じ東京出身なので、「知ってる?」と役場の職員さんに尋ねられた。
 まさか。
 同じ村で育ったのなら、村中が顔見知りってこともあるだろうが、東京で…?
 学校ですら同学年で顔を知らない奴もいたし、同じクラスで話さなかった子もいた。それも淋しいことだけど、それより…。

 交流会のあと親睦会が開かれた。(どっちも同じだと思うのだけど)意気投合した数人が、この花火大会や、隣の町の夏祭りに繰り出した。同じ研修生でドライな感じがしていた岡野さんでさえ大声で笑って仲間を見つけていた。Iターンではなく、俺たちの研修の担当職員である三浦照空まで、その中の一員になっていた。それなのに僕は、なんだか、入りきれなかったのだ、その空気に。
 「この村、いいよね~」とIターンしてきた村を自慢しながらも、「でもね、」と些細な近所の事件を噂してクスクス笑いあっている人たち。ちょっと高い位置から村のことを見下ろしているような感覚が言葉尻にあった。それが妙に悔しくもあり、半分、同調している己が苦しくもあった。
 わいわいうち解けながら会場を移した彼らから遅れをとって、いつのまにか花火大会の会場で一人になっていた。大きな大きな花火の輪に、哀しさも苦しさも忘れかけていたのだけど…。仲間同士で盛り上がっている若者の姿を見ると…。

 あれ?
 花火大会の会場から駐車場に流れる人の波が止まり、川土手を降りる階段の手前で、ちょっと固まっていた。
 「す、すみません」
 困ったような女性の声が、その中央から聞こえてくる。
 あれは…。
 「栄子ちゃん!」
 役場の課長の娘だ。課長の家の田植えのてごぉ(「手伝い」って意味だけど、僕がしたのは手伝いじゃなくて邪魔だったかも)しにいったとき出逢った。先月はその弟も一緒にカヌーした。
 「あ、」彼女が目をあげ俺を見つけた。なんだか助けを求めているようにも見えるが?「敬太!」ファーストネームで呼び合うなんて交際中のカップル(って死語か?)みたいだけど、ここではこれが自然体。
 「どしたの?」そう言ってる間にも人をかきわけて彼女の元へ参上。見ると、おばあさんの手をひいている。
 「階段降りるのに時間かかってしもうて…」
 「わたしゃあ、足が悪うてねぇ」上品そうなおばあさんが僕を見上げた。
 「どうぞ、」考える間もなく背中を向けてしゃがみ込んだ。「お嫌でなかったら」
 背後で、栄子ちゃんとおばあさんが顔をあわせているのが伝わってくる。初対面でおんぶされるのって嫌かな。でも、邑智郡なら奇妙に思えない…けど。
 「じゃあ、失礼しようかねぇ」
 おばあさんの細い腕が俺の首にソッとかかった。
 ゆっくりと立ち上がる。
 「大丈夫ですか?」首を後ろに傾けて声をかけた。「じゃあ降りますよ」
 おばあさんをオンブして、僕は階段を一つ一つ降り始めた。背中にかかる重みはほとんどない。それよりも人混みと夜の暗さが足下をおぼつかなくさせる。
 「シノさん、大丈夫?」背後で栄子ちゃんの声がした。
 「シノさん?」おばあさんの名前?「栄子ちゃんのおばあちゃんじゃないの?」
 「私も若いときゃあ、栄子ちゃんくらいべっぴんだったがねぇ」代わりに背中のおばあさんが答えてくれた。「残念ながら栄子ちゃんは私の孫娘じゃあないよ」
 「桃玉の家のシノさんよ」栄子ちゃんが解説。桃玉の家というのは町営の特別養護老人福祉施設だ。確か、栄子ちゃんが働いているところ。「外出許可もらえたので私が花火大会に誘ったの」
 「三浦照空も来ると思っとったんだがのぉ」
 「三浦さんは仕事だって連絡あったって言ったじゃない?」栄子ちゃんはシノさんに言ってから俺に確かめるように目を向けた。「Iターン交流事業とか言ってたけれど、敬太は一緒じゃなかったの?」
 「あ、いや、」一緒だった。役場の担当職員の三浦照空は、そのまま飲み会に行ったような…。でも…。「後片づけが残ってたみたいだから」栄子ちゃんと照空は付き合ってるようだから、この辺はうまくごまかしてあげておくべきだろうな。
 「ほぉ?」シノさんの甲高い声。…お見通しみたい。
 「はい、到着しましたよ」階段を降りてしゃがみ込み、シノさんを降ろす。「お疲れ様でした」
 「いやはや、命がけの花火だったのぉ」

 僕はマウンテンバイクで花火大会の会場に来ていたから、栄子ちゃんの軽トラにその自転車を乗せて、二人で桃玉の家までシノさんを送った。なんだか計算あわない? 軽トラは二人乗り。人間は三人。そう、自転車の持ち主が自転車と一緒に荷台に乗ったわけ。道交法違反? …でも気持ち良いんだよな、軽トラの荷台。風きって走るオープンカー。シノさんを桃玉の家で降ろした後、俺は助手席に移った。
 「愉快なおばあちゃんだね」軽トラのハンドルを握る栄子ちゃんに言った。「なんだか同級生と話してるみたいだった」
 「でしょ?」ちょっと嬉しそうに答える栄子ちゃん。「シノさんって年齢を感じさせないのよね。私のいっちばんの友達よ」
 「へぇ」
 なんか、いいなぁ、そーゆー関係。
 「そう言えば、」栄子ちゃんがクスッと笑った。「シノさんが言ってたわ、若い男の子に抱きつけたのは何年ぶりかのぉって!」
 「うへ」辟易したふりしてみせるけれど、実際、悪い気はしなかった。別に年寄りが好きってわけじゃないけれど、シノさんは『年寄り』って気はしなかったし。だいいち、年齢だけで『年寄り』とひとくくりにするのは失礼だよな。若僧ってだけで『いまどきの若い連中』でまとめられたくないのと一緒だ。

 栄子ちゃんの家に着く。
 おかしなもんだ。課長と一緒のときは、ここは課長の家なのに。娘である栄子ちゃんと一緒のときは、栄子ちゃん家になる。玄関先に軽トラを止めて自転車を降ろしていると、弟の信博が出てきた。
 「ねえちゃん、俺の車でどこいっとったん!」口をとがらせている。「俺の大事なスポーツカー!」
 「ごめん、ごめん」栄子ちゃんは苦笑まじりで家の中へ入っていった。
 「スポーツカー?」軽トラのことだろ?
 「そう、ツーシーターで4WDの俺の愛車!」
 なるほど、ツーシーター、4WD、荷台に乗ればオープンカー。軽トラってかっこいい。
 「敬太も一緒にどがぁ?」
 「え?」どこか行くのだろうか。信博は寝袋のマットを抱えていた。「どこへ行くん?」
 「どこも行かんよ」信博は寝袋を荷台に広げた。「星」と天を指さして。
 毎年、お盆頃にペルセウス座流星群が夜空を賑わせてくれるのは知っている。見たことなかったけれど。東京ではなかなかチャンスがなかったから。今年は邑智郡で観察できると思っていた。でも、まだお盆には間があるぞ。
 「一晩見上げていれば、一つか二つは流れ星って見れるもんだけぇ」
 「へぇ」そーなのかぁ。
 軽トラの荷台に上がり、信博の横に寝そべる。
 …おお、確かに満天の星だ。
 「目が慣れてきたら、もっと見えるよぉになるで」

 目が慣れる前に栄子ちゃんが帰ってきた。
 「はい」冷蔵庫から冷え冷えの缶ビールを三つ持って。「詰めて、詰めて」
 「冷てぇ?」
 「ばか。詰めてよ。私も乗るんだから」
 三人で夜空を見上げた。
 昼の暑い陽差しから想像もできないような涼しい山あいの風が吹いてきた。汗かいてべとべとしていたシャツがヒンヤリと冷えてくる。冷えた缶ビールを持った手も、そのビールを流し込んだ喉も冷気を誘ってくる。でも、なんだか、ぽっかぽか温かい気分になっていた。

八月 夏、盆、そして…。】に つづく


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