100年後もアートが人びとを「なんとなく」の感覚でつなぐ
武蔵野美術大学 大学院造形構想研究科 クリエイティブリーダシップコース クリエイティブリーダシップ特論の授業の第4回(5月3日)レポートをまとめました。
今回は、キュレーター(美術館などの展示企画ディレクター)、@J代表の 鈴木潤子さんにご講演いただきました。
プロフィール
東京都出身。時事通信社、森美術館、日本科学未来館で通算約20年間の勤務を経て独立。 2011年より無印良品有楽町店内のギャラリースペース・ATELIER MUJIにてキュレーターとして8年間で約50件の展覧会とその関連イベントを企画運営されました。2019年4月に開店した無印良品銀座店6階ATELIER MUJI GINZAにて展覧会やイベントのキュレーションを行い現在に至ります。同時並行でフリーランスとしてこれまでの経験を活かした個人事務所@Jを立ち上げ、アートやデザインを中心に、幅広い分野でPRやキュレーション、文化施設の立ち上げに携わっていらっしゃいます。
おもな活動
マスコミ→美術館→科学館→独立と異色のキャリアを築かれてきた鈴木さんは学びとアートとキュレーションに寄り道とみちくさは無駄なしとおっしゃられます。数ある活動の中でもキュレーションに焦点をあててお話を伺いました。
キュレーションを仕事に(一部をご紹介します)
「木を見て森を見る展」
「なおえつうみまちアート」
なおえつうみまちアートの作品は未公開ですが、直江津の海から地球規模の自然をテーマに作品と展開していかれます。
直江津の燃えているような夕日に惚れ、果たしてこんなに美しい光景に対して人間が何かアートで提案できるのか?という問いのもと始めた非常に難易度の高いプロジェクトであったそうです。実際に日本海の海で実験しながら進められていらっしゃいます。
鈴木さんが活動に込める想い
シビックプライド・100年後を考える
「自分たちで考えるためにアーティストと考える。不確実な時代の中、アートはどういう存在なのかが問われている。100年後にやってよかったと思える企画を行う。この時代にやったから良かったと言われる作品にしていきたい。」by 鈴木さん
市民の活動としてアートをどう入れていくのかという、どうしたらみんなが参加しやすいかを考えるとともに100年後の世界も想像しながら作品を作っていかれています。
例えに出していたのがゴッホの絵でした。テオはゴッホの絵が大好きでしたが、生前ではなく没後に評価されたように、アートは今価値が伝わっていなくても100年後変わるかもしれないという考えに基づいていらっしゃいます。
作品を「ラブレター」としてアーティストの方を巻き込む
アーティストの方に「地元の人に送るラブレターだ」と伝えて作品作りに巻き込んで行かれます。
ほぼ一目惚れを軸に作品をつくるため、地域の美しさやそれの発掘(リサーチ)が重要となります。アートは伝えることよりも質問することが大事との事です。
そのプロセスである、街を観察する・引っ張り出すというアートをここに装着していく行為自体がラブレター(愛の押し売り)であるとおっしゃられていました。
とにかくものが生まれ出ることには中毒性がある
出来上がっていくプロセスの98%くらいは困難だがそれが醍醐味で、出来上がるとまたその98%をやりたくなるとおっしゃられていました。
決して楽な道を選ばず、例えば会期中は海のそばに住んで地元に入り込み、作品を守って行かれます。
パチンコとラーメン好きなおじさんたちが、はっと見て「美しい」と思えるものを(共感覚)を創るなど、刹那でも良いので、街を美しいと思える瞬間を創っていきたいとの事です。
感じたこと
鈴木さんは美しいもの、新しいものが生まれ出ること、自分の心が動くものに正直に従って、感覚を大切に生きていらっしゃる方だと感じました。
また、アートの可能性を信じ続けて私たち世代以降にも続く作品作りを目指している印象を受け、作品が作る世界観やそれに対する世間の捉え方の変遷も含めて作品になっていくと感じました。
中でもアートの社会的な実用性、必要性とはなんですか?(参加者の高校生からの質問)という問いによる鈴木さんのお答えや対話が興味深かったです。
「アートは答えではなく問いである。かなり不確実で目に見えないもの。人間が人間でいるために必要なもの。ヌエ(伝説の生き物)のような存在。人によって見え方が異なるもの。明確な答えが無いながらも、そういった事を考えながら仕事をする事が重要。」という鈴木さんのご回答がありました。
人によって見え方が異なり、目に見える答えや正解がない。感じ方も人それぞれであり十人十色である。唯一同じように感じられるのは、美しさや感動などの抽象度の高い「なんとなく」の感覚であり、言語化できない言語といえるのではないでしょうか。
アートによって「なんとなく」の感覚が設計され、その「なんとなく」の感覚が私たちの行動をつくり、社会への影響を及ぼしていくという事がアートの社会的な意義なのかもしれないと思いました。
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