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教員・会社員・自営業・起業家、どの状態も手段にすぎない

こんにちは。越境先生の前田です。

キャリアは

会社員・個人事業主・法人設立中←非常勤小学校教員・個人事業主←中学教諭←大学生・喜劇座員、という感じです。

最近、教員や会社員を経験した上で、職業は何らかの目的のためにある手段でしかないなと感じるのでまとめていきます。

よく見る手段の目的化の問題点

先生になること、民間企業に転職すること。全体的に目的化しているなと感じます。
先生になるのは教育に対して何らかの貢献がしたい人の手段ですし、民間への転職もただ何となくキツさから逃避するための目的になりがちです。
ダメなことではないと思いつつも、本当にそれで続けていけますか?ということは問いかけていきたい。例えば先生になることを目的としていると、先生になれた暁には目的が達成され、すべきことを見失うかもしれません。
民間への転職も同様で、民間に転職しさえすれば問題の大部分は解決されると信じて転職する人もいますが、これも同様に危険です。民間企業に移ることは、自身の目的の何を達成するためなのか、ここを具に観察する必要があります。

起業や復業も同様で、それそのものは手段でしかないわけですから、本当にあなたが成したいことを成すためにはどのような手段を講じるべきかを考えていかないといけません。

教員になる目的、教員でい続けることの目的

そうは言っても教員になる前の動機なんてたいしたものではない場合が多いはずです。例えば私の場合は「何となく営利事業は向いていなさそう、自分が辛くなりそう」という理由から教師になりました。教師になれば、本当に困っている人のために最前手を選んで提供できるのではないかと。
教員を経験してみて思うのは、自己分析も職業分析も足りていなかったなということです。
自分はおそらく営利事業全体が向いていないわけではなく、人を騙したり短期的な利益のために摘み取るようなやり方が気質に合っていないだけでした。営利事業車の多くは上記のような状態に陥りやすい構造的な問題を抱えていますが(株主から単年での成績に対して圧力がかかる)、うまく長期的に物事を捉え解決しようとしている営利事業者も少なからずいます。

教員を続けていると、教員でい続けることに意味を見出せるようになってきます。生活の糧にするということですね。これはこれで立派な目的です。子どもができたり趣味に興じたりといったことを進めていく中、教員として一通りの仕事ができるようになり、生活のサイクルも教員としての給与があることを前提として回るようになります。
これらを維持し続けるために教員であり続けることもまた、一つの選択です。ただ人によっては疑問を抱く瞬間が来るのだと思います。


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