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【現代病】「何者かにならねばならぬ」という呪いー必ず振り抜かなければならないのかー

割引あり

こんにちは。越境先生の前田です。

最近ありがたいことに「やることが定まっていて良いですね」と言われたり、「どの分野でやろうか迷っています」という相談を受けることがあります。

今回は、振り抜き方に迷いを持っている人、やるべきことが見えていない人向けに、私の考えをつらつらと書いておきます。

まず生得的な違いが大前提にある

まず前提の事実として、人間一人一人には生得的な違いがあります。

教員の越境の文脈で言えばしっかり越境したい人、パラレルワークに関心がある人。
そのうえで一種の多動さを持っている人そうじゃない人。

情緒面のことで忘れられがちですが、私たちは身体的特徴以上に大きな違いを内面に持っています。

めっちゃ色々やってそうな人がSNSやインターネットで目につきますが、果たして自分はそういった場所に行きたいのか、それに価値があると思えるのかは生得的な性格が影響していると思います。

あなたはどんな性質をもっているでしょうか。

何者かになりたいと考えてしまう自分

ものすごく恥ずかしい告白として、私の場合のお話を聞いていただくとすると、実は同世代の著名なスポーツ選手たちに対してなぜか対抗意識を持っていました。20歳前後のころは特に顕著で、福原愛選手や田中マー君と同世代であったため、その活躍に嫉妬し、自分も何者かになれるのではないかと。あるいはならないといけないのではないかと思っていました。しかし、その何者かになるための具体の努力はできない。


そんな風には振り抜けないと思う自分

何者かになりたいのに、有名なスポーツ選手たちのように、あんな風にやり抜くことができないわけです。そこまで全集中できない。

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