大学時代に歯切れの悪い先生の方が信用できた理由
教師になってから集会指揮の教師の技術を分析していると、いくつかのポイントがあることを発見しました。
・ためらいなくはっきりと話す
・3つくらいにポイントを絞って話す
・大きな声で
・短い文章で
・聞き取りやすい速さで
このあたりは、生徒が身を引き締めて話を聞ける先生に共通するテクニックだと思います。
もともと人前に立つ仕事をしていたので、分析した通りに自分の話し方を書き換えていきました。
3年目くらいから全体指導や集会での演説?がそれなりに形になり、技術もなんとなく身についたように思います。
しかし同時に自分のやっていることに疑問も感じていました。
「これってやはり、独裁者とかの演説に似ているなぁ。」と。
ヒトラーや、最近の日本でいえば小泉首相などは、大衆の心をつかむ演説を得意としていました。
大枠でいうとそれとやっていることは似ているのかなと思います。
話は変わりますが、大学時代私は煙草を吸っていました。
まだ当時はキャンパス内の喫煙所で吸えたので、大学の先生や他の学生たちと顔見知りになり、あれこれ話して楽しんでいました。
その中で図工の教育法を教えてくれていた他大学の先生とよく話していたのですが、私は何となくこの先生のことを尊敬できる方だなと思っていました。
60代の先生なのですが、学生にもフラットな敬意をもってお話ししてくれる感じでした。
別の元教師で知人の60代の方がいらっしゃったのですが、その方はけっこう真逆でした。
「私はこんな経験もしたし、先生っていうのはこうあらねばならないのよ!」という感じで正直苦手でした。
それはそれとして、あるとき喫煙所で図工教育法の例の先生と当時取りざたされていた教育学部6年制導入について話していました。
教育関係者からは当時不評だった案で、学生たちも「そんなものは必要ない」と話していました。私もその一人でした。
医師や薬剤師のようにベースの給与が高いならわかるが、6年間の学費を払うだけの見返りが少ない。。。とかなんとか言って批判していたように思います。
図工の先生は私がその弁を熱く語っている間も、よく考えながら話を聞いてくれまして、こんな風に話されました。
「そうだねぇ。そういう側面ももちろんあるねぇ。一方で僕は6年制にして1年間しっかり実習をするというのも一つ必要なことかもしれないとも、、、。何がいいんだろうねぇ。」
はっきりとは肯定も否定もされないわけです。
でも私は、この会話の後も何となく先生に誠実さと聡明さを感じ取っていました。
これをふと今日思い出したわけです。
今でもやはりこの先生が誠実な方だったのだなと思えます。
「6年制にしたら学費が余計にかかるからやめておこう」としてしまうのは簡単ですが、6年制にすることのメリットは享受できません。
この制度のミソは1年間みっちり教育現場に立てるということです。
全く何もわからない状態で1年目から担任を持たされるという大事故が各自治体で起きているなか、この制度を適切に用いればある程度それが軽減されるかもしれません。
よりリアルな学校の実態を学生が体験できますし、教育のプロフェッショナルを時間をかけて育成できます。
医療が国家の最終防衛ラインであるならば、教育は国家の未来への投資なわけですから、同じように人材育成にリソースを割くのはある面では妥当だともいえます。
このように、一つの事柄とは個別の部分だけを切り取って判断することはできません。
世の中の多くのものは底流でつながっており、それらが相互に作用することで全体が形を成しています。
だから、誠実な人ほどはっきりと言い切ることに躊躇します。
ところが子どもから見るとそれは教師の迷いに見えるのではっきりと言い切ってくれる教師の方が信用できる気分になってしまうわけです。
実際には深く考えていないか聞き手に迷わせたくないかのときに人ははっきりと言い切りやすいのですが、はっきり言われることを心地よく感じる人というのは子どもだったり考えが浅かったりするため、そのことがまだわかりません。
何かの事柄が色んな要素に影響を受けて形を成しているように、人間もまた環境や人の影響を受けます。
60代の図工の先生は定年まで小学校で勤務されていたそうです。
熟練の先生であることは間違いないのですが、その年齢まで学校という「言い切りの嵐」の中に身を置いていたのにも関わらず、言い切りに染まっていない姿勢にも凄みを感じます。
今振り返ってみると二重の意味で、私はこの先生のことを信頼できると感じていたようです。
・フラットな敬意をもって話してくれたうえに、言い切らない誠実さを持っている。
・長年教師をやっていたのにもかかわらずそのライフスタイル持っている。
私は人生の価値観の一つに「賢い人になりたい」という目標を掲げていますが、おそらくあの図工の先生の持ってらしたライフスタイルにその一端があったのではないかと思います。
フラットな敬意
言い切らない誠実さ
自分のライフスタイルを大切にする
賢いの定義が少しずつ分かってきたようです。
今日は元陸上選手の為末さんの考えを一部引用させていただきました。