結果を出すための目標設定について。
どうも。
タイトルの通りであるが、
今回は私の目標を語る回である。
私はプロのミュージシャンを目指している。
ただ現状、そこに手が届く位置にいない。
それも、目標に対して果てしなく遠い位置にいるのだ。
また、私は今年で26歳を迎える。
今まで目の前にあった無限大の可能性は、
いつしか陰りを見せるようになっている。
だからこそ、
根本的に自分の意識、行動を見直す必要があると考えた。
甘ったれた意識だけではなく、
自分が日々行なっている行動の質と量も併せて変えていくために。
結果を出すための2つの施策
今、優先的にやるべきことを2つ考えた。
自分の目標を明確にし、
具体的な短・中・長期の計画を立て、
タスクを1日単位で割り振ること自分の生活をできる限り「見える化」すること
そんなことする必要あるのか、と言われるかもしれない。
ただ、私にはそれをやるべき明確な理由がある。
それはひとえに、
私が怠惰な人間であるから、である。
私は、つい最近前まで自分のことを
「努力ができる人間」であると思い込んでいた。
それは受験に成功した17歳〜18歳の頃の経験に起因する(詳細は端折る)。
私の過去から現在を整理したのだが、
自分の人生において真剣に物事にコミットできていた期間はそこだけだったのだと気づく。
人生における最大の成功体験は、
8年前の受験生時代から更新されていないのだ。
情けなさすぎる話である。
受験成功は、その後の人生において良い意味で大きな影響を与えてくれた。
しかし、それによる「自己認識の誤り」という弊害も起きてしまったのだ。
今になってようやく気づけたのだが、
私は怠惰なのである。
受験生時代に努力ができたのは、
「受験の失敗を生命の危機と同じようなものと捉えていた」かつ
「1年間という期限が明確にあった」からである。
私はギリギリまで追い込まれないとやらない性格なのだ。
これを書いていて再認識した。
言語化してよかった。
元来持っている人間の性質は、
気合いや意識、一時のモチベーションでどうこうできるものではない。
だからこそ、自分が怠惰であることを前提とした戦略を立てる必要がある。
その第一歩として、
自分の生活の「見える化」を行いたい。
結果に繋がらない生産性が低い時間がどれだけあるかを把握し、
それを減らすための手段を講じるために。
それにあたって、
まず目標と計画を立てるべきだと考えた。
短〜中長期の目標を立て、
やるべきことを1日単位まで分解し、
その日の目標をどの程度達成できたかを
日々振り返れるようにするためだ。
目的が曖昧だったり、
集中できていない状態で作業を行なっても
効率が悪い。
アーティスト活動は時給の世界観ではないため、
毎日8時間練習や作曲に費やしたとしても、
それ自体に対して金銭が発生することはない。
アーティストに求められるのは、
どこまであっても「結果」のみである。
もちろんチームで物事に取り組む場合は 、
結果以外の面を評価することも時には必要かもしれないが、
あくまで私は個人で活動している。
自分で結果を出さなければ、
誰も自分の尻拭いはしてくれない。
だからこそ、私は結果を出すことを最優先として考え行動していきたい。
単に量をこなしても、
それが結果に繋がらなければ意味がない。
そのため、「自分がこなした量は結果に繋がっているのか?」について的確に把握できる体制を整える必要があるのだ。
結果を出すための具体的な「目標」の設定
まずはその「結果を出す」についてより具体化していくため目標を定め、
これらの目標を達成できたら「結果が出ている」という基準を設ける。
そこで設定した目標がこちら。
適宜修正をしていく前提ではあるが、ざっとこんな感じである。
今のところ収益はサブスク配信をメインで考えている。
昨年末に「夜明け」という楽曲をサブスクで配信した。
この曲は人生で初めて作詞作曲を行った曲をアレンジしてリリースしたものである。
おおよそリリースから1年が経つのだが、
収益は100円ちょっと。
Spotifyに関しては月間リスナー数は1名(たぶん私)という、
なんとも悲惨な結果に終わったのだが、
収益面に関してサブスク配信の底知れぬ可能性を感じた。
サブスク配信はSpotifyだけでなく、
Apple Music等にも配信されているのだが、
月間のリスナー数や再生数はSpotifyでしか表示されていないため、
それらの総計がどれくらいあったのかは不明である。
ただ、Spotifyで月間リスナーが5,000人を超せば、
収益が1万円(5桁代)を超すことはほぼ間違いないと思っている。
私は音楽制作におけるすべての工程を1人でこなしているため、
配信のみに限れば、原価はジャケットのイラスト外注費くらいである。
そう考えると、
Spotifyで月間リスナー数が5万~10万人を超せば、
おそらく月に10万~20万は稼げるような状態であることが見込まれる。
まずはそこを目標にして活動を行っていきたい。
初期は数を打って失敗を繰り返しながら成功の糸口を探っていく。
世間と自分の「良い」のズレがどこにあるのか、
私が作る楽曲のどこに需要があるのか、
私に足りていない能力は何か、
今優先的にやるべきことは何なのか。
頭で考えるより、
まずはひたすら曲を出してABテストを繰り返す。
自分の頭の中でずっと悩みと葛藤していても大したことは得られないことを私は身をもって知っている。
だからこそこれからは、行動した結果をもとに試行錯誤をしていきたい。
「長期的な目標」についての想い
長期の目標に関して、これから当分語るつもりがないのでここで詳しく話す。
私は自身のアーティスト活動で生計が立てることに成功したら、
音楽活動者のサポートをするビジネスを始めたいと考えている。
おそらく私は、今後どれだけ必死に技術や知識を積み上げても、
プレイヤー及び作家としては2流にしかなれないと思っている。
米津玄師にもKing Gnuにも椎名林檎にもなれない。
トップオブトップになるだけの器ではないのだ。
トップオブトップのミュージシャンを見ていると、
「ああ、この人はなるべくしてこうなったんだな」と感じる瞬間がある。
これだけ音楽が好きで、これだけ常に音楽に向き合い続けていたら、そりゃそうなるよな、と。
そういう人たちを見ると、私がそっち側の人間ではないことを痛感させられる。
ただ、私の最大の武器は音楽的スキルではなく、
言語化能力、ロジカルな思考、一般人的な感覚であると考えている。
歌も楽器も作曲も、
私は上記のスキルを活かして上達してきた。
このスキルを活かした音楽事業ができれば、
音楽業界に一石を投じることができるのではないか、と考えている。
ロジカルに考えれば考えるほど、音楽にまつわる様々なことに対して疑問を抱かずにはいられない。
私は、音楽業界の大半が感覚によるコミュニケーションで成り立っているように感じる。
アーティスト業や作家業、エンジニア業など音楽業界のほぼ全ての業務はかなり属人的で、
同じ感覚を持っていない人に対しての知識・技術・経験の共有がなされていないように思うのだ。
アーティストやエンジニアのインタビューを読んで、
彼らの言葉に舌足らず感を覚えたことがあるのは私だけだろうか。
彼らにとってはそれが一番労力のかからない最適なコミュニケーション方法であり、
同じ感覚の人たち同士であれば、それが一番無駄のない意思伝達のやり方なのであろう。
ただ、私のような一般人的な感覚からすると、
「それは説明を端折りすぎでは?」と感じることが多々ある。
これはアーティストやエンジニアに
「もっとうまく説明できるようにしろ!」と言いたいわけでは決してない。
むしろそれが音楽人の良さであるので、変えてもらう方が困る。
私は、彼らと一般人の間を繋ぐ中継役を担える可能性を秘めていると考えている。
もし私が彼らの感覚を理解できるレベルまで達せたら、
彼らの感覚を言語化してわかりやすい形で情報共有することができるだろう。
現状、音楽人の感覚をうまくマスに対して伝えられる人材がいないように思えるのだ。
頭の良い人はいるだろうが、
なにせそういった人たちは結論だけ伝えてそこに至る過程をすっ飛ばした説明をすることが多い。
プロの技術は今でこそいろんな媒体で語られるようにはなったものの、
それを理解できる層は「プロ予備軍」のような感覚が優れた方たちなのではないかと思う。
そこで、一般人の感覚を持ったインテリかぶれ(私)の出番だ。
音楽の世界は面白い。
興味深いことだらけだ。
もっと多くの人に音楽に興味を持ってもらいたいし、自分がその橋渡しを担いたい。
でもって、自分の音楽を聴いてくれる人が増えたら幸せスパイラルでしかない。
私が音楽業界の中で築けるポジションがあるとするなら、
おそらくそこなのだろうと考えている。
思想で言えば、アニメ私塾の室井康雄さんに近いと思う。
彼はジブリでプロアニメーターとしてキャリアを積んで、
現在はその知識・技術・経験を人に教える立場についている。
初めて彼をYouTubeで見たとき、おこがましすぎるが「俺と考えてること同じだ…!」と感動した。
私は音楽版のアニメ私塾を作りたいのだ。
そして、「ミュージシャンとして食っていくためのマニュアル」を作りたいと考えている。
ミュージシャンとして食っていくために必要な知識・技術・経験を体系化し、
プロになるための指標を作りたいのだ。
受験だと「何点取れば合格できるのか」といった指標があるため、
志望校の選択やそこに対しての必要な努力量の把握、及び対策がやりやすい。
あの時期までにこの参考書が完璧に理解できていないと厳しい、といった具体的な計画が立てられるし、
やるべきことを明確にしやすいのだ。
音楽の場合、
そこの基準が曖昧であるように思っていて、
間違った方向で努力しているアマチュアミュージシャンは非常に多いように思う。
私からすると、
「プロになる」という漠然とした目標があるだけでは、
相当な才能と運がないと辿り着けないような気がしてならない。
もし、「ミュージシャンとして食っていくためのマニュアル」があれば、
本気でプロを目指そうとしている人が努力の方向を間違えることは少なくなるのではないか。
あとはそれを本人がやるかやらないか次第、という状態に限りなく近づけるはずだ。
また、それがあることによって、
夢を追う人が夢を追いやすくなるだけではなく、
夢を諦めた方が良い人が夢を諦めやすくなる、と考えている。
私は、夢を諦めることが悪いことだなんて1ミリも思わない。
むしろ、向いていないことや成功する確率が限りなく0に近いことを無理やり続けることの方が悪だと考えている。
私が音楽を始めたのも、ある意味、夢を諦めたことがキッカケだとも言える。
「夢を諦める」ことについて
私は中学からサッカーを始め、高校までずっと続けていた。
その頃はサッカーが自分の全てだった。
しかし、スポーツの世界は音楽よりも残酷で、
始めた年齢が中学からの場合、余程の運動神経や身体能力がない限り、
小学校から始めた経験者と同じレベルになることはほぼない。
私は運動神経も身体能力も並み程度であったが、
中学や高校のレベルがそこまで高くない環境だったこともあり、試合には出れていたものの、プロを目指すなんて到底無理だった。
もし自分にプロになれる実力があれば、サッカー選手になりたかった。
ただ、そうなれる未来は無いに等しかった。
大学を機に、サッカーは趣味にせざるを得なかった。
それを続けてもプロになれないのだから。
大学に入った私は、
趣味程度ではなく自分の全てを費やせる「なにか」を探していた。
そこで1年間探し続けた末に出会ったのが音楽だったのだ。
それによって自分の人生は大きく変わった。
それまでよりも確実に豊かな生活になった。
ただ、音楽を始めたキッカケに深い理由はない。
バイトもせずただダラダラしていた夏休みに、友達と行ったカラオケが楽しかったから。
ただ、それだけである。
「歌が上手いと褒められた」「声が良いと言われた」などもない。
ただ久しぶりに行ったカラオケが楽しくて、
やることないしボイトレでもやってみるか、
という、ただそれだけ。
音楽を始めたキッカケは、
ほんの些細なことだったのだ。
運命的な出会いなどではまったくない。
自分に向いてそうだから、などでもない。
「素人の中で歌が上手い人」でもなかった。
そういったこともあり、
私は「自分には音楽しかない」なんて1ミリも思わない。
音楽以外でも自分が熱中できるなにかは必ずある。
才能がなかったとしても、
正しいやり方で正しい量を積めば、ほぼ間違いなく上達する。
なにか一つの物事に執着して、「これが自分の人生の全てだ」なんてことはただの思い込みだと思う。
自分の可能性を他で見つけようとしない姿勢は、
人生を1ミリも前に進めちゃくれない。
もし私が、
やれることを全てやってもプロとの距離が全く縮まらなかった場合、
音楽の道はキッパリ諦めて趣味に転向し、別の分野でまたチャレンジしにいくことだろう。
ただ、世の夢追い人はそうでないケースが多いように思う。
音楽でプロ目指してやっている人の中にも、
実はかなり無理していて、でも今まで音楽しかしてこなかったから今さら辞めるのも怖い、
というような、損切りできない夢追い人がいるはずだ。
身近なミュージシャンでもそういったケースをたくさん見てきた。
そういう人は、
そこでずるずる音楽を続けるよりも、
早めに他で自分がエネルギーを注げる何かを見つけた方が
人生は豊かになるように思う。
「ミュージシャンとして食っていくためのマニュアル」があれば、
プロになるために必要な量や労力を目の当たりにして、自然と諦める人も出てくると思う。
やるべきことがより具体的であればあるほど、
「そこまで労力をかけて音楽をやりたいのか」について考える機会が増え、
自分自身と対話する機会も増えるからだ。
自分の本心から目を背けることは非常に危険で、
それを受け入れてからが人生なのではないか、というのが私の持論である。
(若造が人生語ってメンゴ)
夢を追いやすい環境を整えるだけでなく、
嫌になったり自分に向いてないと思ったらいつでも辞めれる環境を作れたらいいな、と思う。
今後の意気込みについて
べらべら講釈を垂れてきたが、
「ミュージシャンとして食っていくためのマニュアル」を作るには、
まず自分がプロにならないといけない。
世間からすれば何者でもない、誰も知らない、得体の知れぬ者が語る成功論をよく目にするのだが、
実体がないものに対してはどうしても疑いの目を向けてしまう。
私は”ホンモノ”のみを伝えたいからこそ、
プロになる必要があるのだ。
どれだけ私の語ることが正論であろうと、
聞く耳を持たれなければ何の意味もない。
また、先で述べた目標は私の人生設計に限りなく近いものである。
その目標は、私がプロになることが前提に設計されている。
つまり、プロになれなかった時点で全てが頓挫するのだ。
ある意味、私の人生はプロになってから始まる、と言っても過言ではない。
ただ、うまくいかなくても、
また別の熱中できるなにかを探して、
別の人生を歩むことにするので不安はない。
うそ、多少はある。
ただ、そう思えているからこそ、
今やるべきことに全力で集中できる。
先ほど「プレイヤー及び作家としては2流にしかなれないと思う」という話をしたが、
それとプロになれる、なれない、という話は別だと考えている。
やるべきことをやって、
プロ基準で必要な知識・技術・経験が備わっていれば、
プロになれないわけがない。
なれないのであれば、それらが不足していた、というだけの話である。
そこに向き不向き、才能の有無は関係ない。
甘い世界ではないことも重々承知している。
さらに、私は並の才能しか持ち合わせていないため、
スタートの位置に関しては才能ある側の人間と比べて不利な状況である。
だからこそ、その差を埋めるためにやれることは全てやり切る。
私が語った未来予想図が実現して「有言実行」の人になるか、
はたまた「ただの口だけのヤツだった」と思われる人になるか。
ぜひ見届けてほしい。
どちらに転んでも楽しませることは保証する。
次回は、
今回設定した目標を達成するために行う「生活の『見える化』」についての具体的な方法を話していこうと思う。
それではまた。