お節と民藝
すっかり久しぶりの投稿になってしまいました。
2025年はnoteも更新していきたいと思っています。と、言いつつ、すでに新年が明けて20日以上が過ぎてしまいました。特に「お節」というタイトル…すでに時季外れになってしまいましたが、最近学びを始めた民藝と絡めて、思うところを書いてみようと思います。
1.今年のお節
我が家のお節料理は、小さな子どももいるため、特別な日でありながらも、どこか日常の延長線上にあるような感覚を大切にしています。甘みに麹を使ったり、全体的には麹のうま味を中心に塩分も控えめにするなど、家庭料理の延長として作っています。今年は、その「日常感」を食卓の雰囲気にも出してみたいと思い、民藝の器を選びました。 お節の特別感と民藝という日常、ここがどう調和するかも見たかったのですが、盛り付けてみてその調和に民藝の持つ素晴らしさを感じました。民藝の器は料理を引き立てるだけでなく、特別な日に、素朴でありながらほっとする温かさを添えてくれました。
2.私が住んでいる街にある倉敷民藝館
私が住んでいるのは、岡山県倉敷市という街です。自宅から車で20分ほどのところにある倉敷美観地区は観光地としても有名ですが、その中に倉敷民藝館があります。この民藝館は、日本で2番目に設立された歴史ある場所で、柳宗悦の思想に影響を受けた大原総一郎(倉敷紡績創業家の一員)が設立に関与しました。岡山のみならず日本全国の民藝が常設展示されており、定期的に行われる企画展を楽しみに、美観地区のお散歩を兼ねてよく訪れています。
3.民藝の学びをはじめました
今年から、私が大好きな料理家・土井義晴先生が講師を担当される「料理と民藝」という学びを始めました。民藝には「用の美(ようのび)」という理念があり、実用性と美しさを兼ね備えた手仕事の価値を見直すことを目的としています。
まだまだ民藝について深い知識はありませんが、もともと器や生活の道具が好きだった私にとって、生活圏内に民藝に触れる場所があったからこそ、その魅力に惹かれるようになりました。特に土物の器の温かい触れ心地や独特のぬくもりに、自然と心が惹かれるようになりました。
4.民藝と麹文化の共通点
民藝の作品には名前がありません。そして、和食にも名前がない料理が多くあります。この背景には、日本文化に根付いた「自然の中に人がいる」という感覚があるのではないでしょうか。
作品や料理が、個人の創造物という枠を超え、自然との関係性の中で生まれたものと捉えられているからこそ、名前を付けることを控えるのかもしれません。
麹や発酵食品もまた同じです。それらは人間が「作った」というより、自然との営みの中で生まれた文化の一部です。たとえば、蔵の人々は「自分が味噌や酒を育てている」とは言わず、「微生物が育てている」と語ります。この言葉には、自然の力を尊重し、その恩恵に感謝する価値観が表れているような気がします。
自然が主役であり、人間はその力を引き出すサポート役にすぎない。この姿勢は、民藝や和食、そして麹文化の根底にある共通の精神だと感じています。
5.幸せ上手は、日常の美しさに気づく力を持っている
私は、日常に美しいものもや小さな幸せを見つけられる人こそ、幸せ上手だと思っています。どんなことも自分で見つける感性があるかどうか、ものに満たされているかどうかに関わらず、この感性なくしては、どんな状況でも幸せにはなれないと思っていますが、皆さんはいかがでしょうか?
民藝の「特別でなく日常に美はある」という思想も、私が民藝に魅かれた大きな理由の一つです。日常や身の回りに美しいものを見つける感性が、私たちには昔から備わっているのだと感じています。民藝は、まさに私たちの暮らしの中にこそ本当の美しさが存在することを教えてくれます。
また、この感性は麹文化にも共通しているものだと思っています。麹や発酵食品も、特別なものではなく、日常に溶け込んだ文化の一部です。民藝や麹文化は、私たちが日常の忙しさで認識できずにいる美しさや豊かさ、恵みを再認識させてくれるものです。
私は麹文化を伝えることを活動の中心にしていますが、日本文化に流れる価値観はすべて共通していると感じています。民藝と麹文化、そして私たちの暮らしに息づく「日常の美」に気づく力を持つきっかけを作っていきたいと思っています。そのためにも、私自身がより深くその本質を伝えられるよう、さまざまな視野を広げ、いろんなものさしを通して日々の暮らしに落とし込み、活動にも生かしていきたいと思うこの頃です。