得意の絶頂から失意に落ちた源義家が創建した宝仙寺

東京中野区にある広大な敷地をもつ宝仙寺は、奥州後三年の役を平定した源義家が、街宣の際に護持した不動明王を安置するため創建しました。

奥州後三年の役は、清原氏の内紛に源義家が介入することで起こりました。義家は陸奥守という立場から介入し、紆余曲折を経て清原氏を滅ぼします。

義家はこの功から自分が奥州一帯を朝廷から任せられると思い、意気揚々と京に凱旋します。しかしながら、朝廷はこの一件を公的な戦いと認めず、私闘と判定し、義家には官職を含め褒美を与えませんでした。

義家が、推したこともあり清原氏の後を継いで奥州の支配権を得たのは、清原氏の家臣であった藤原清衡でした。ここから奥州藤原氏が生まれます。奥州藤原氏は、のちに義家の子孫である源頼朝に滅ぼされるまで奥州での独立を果たします。

義家は、結局、この戦いで何も得ることはできず十年間、無冠無位でした。まさに得意の絶頂から失意のどん底に落とされたのです。

宝仙寺はそんな義家の複雑な想いが込められた場所なのです。

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