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人生のレールから外れてみて

 こんにちは、Akihitoです。
順風満帆とまでは行かないもののまぁまぁよかった人生のレールから突然外れてしまった無職男です。けれども、レールから外れたからこそ出会えたものもある、というお話です。
生まれてから今に至るまでを振り返ってみます。

記憶ほとんどなしー幼稚園時代ー

 タイトル通りほとんど記憶がありません。日清カップヌードルに指突っ込んで火傷したのとレゴブロックで遊ぶのが好きだったことだけ覚えています。終わり。

可もなく不可もなくー小学校時代ー

 そのまま地元の小学校に進学。低学年の頃はいじめだったかはわからないですが、しょっちゅう泣いていたのを覚えています。ポケモンや遊戯王カードがブームでしたね。友達と公園で遊んだり、友達の家に行ってゲームをやって遊んだり、ザ小学生を満喫しておりました。

デュエリストー中学校時代ー

 中学も地元に進学。家からめちゃくちゃ近かったので友達の溜まり場になっていました。部活に入ろうか悩みましたが「勉強頑張るから!」と宣言して帰宅部にしました。が、あっさりその約束は破られ遊戯王にどハマり、学校が終わったら友達の家かカードショップに入り浸る毎日でした。チャリで片道1時間かけて札幌に言って公認大会に出場したのは今でもいい思い出です。
 高校受験には案の定失敗し、不合格を父親に電話したら泣かれました

帰宅部エースー高校時代ー

 第一志望だった公立に落ちたので札幌の私立に通うことになりました。高校も懲りずに「今度こそ勉強頑張るから!」と言って帰宅部にしました。入学時は大した成績じゃなかったのですが、受験の失敗で一念発起したのか勉強を頑張りだして最初の定期テストで学年1位を取れたと記憶しています。それが嬉しくてかますます頑張って定期テストでは基本的に学年1位を取り続けることができました。学校から成績優勝賞金?的なものをいただいて、私立という莫大な学費を多少は軽減してわずかながら親孝行できました。ただ、自分の勉強スタイルは基本丸暗記で応用が効かなかったので全国模試ではそこまで振るわず、3年生から成績が低迷。

 私生活はと言うと、中学でどハマりしていた遊戯王は「高校生になってもやってるのは恥ずかしいのでは?」と考え手を引きました。学校が終わると友達とどこかに行くでもなく、即時帰宅。家で勉強するかゲームプレイ、ゲーム実況動画orアニメ視聴、の3つの選択肢しか取っていなかったです。まさに帰宅部エースでした。共学だったものの女の子との青春は一切送ることなく、というか女子に話しかけることすらできないビビりでした。そもそもクラスメイトともほとんど話していませんでした。。。周りからは「無口なガリ勉くん」と認識されていたと思います。地元の難関校を狙っていましたが、気になる子が医療系大学を目指していると聞いて推薦入試を受験、あっさり落ちたのは懐かしいです。何やかんや、もともと志望していた大学には何とか合格できました。親も喜んでくれて胸を撫で下ろしました。

パリピぶる壁の花ー大学時代ー

 中学、高校とも帰宅部でしたが、これまでの我慢が爆発して「青春を送りたい!」と思いました。いくつかのサークル新歓に行ってみて、最終的には音楽系サークルに所属することにしました。理由は「新歓にいた先輩がめっちゃ可愛かったから」です、素直ですね。飲み会などイベントの多いサークルでしたが、高校時代のコミュニケーション不足が災いしたのか基本「壁の花」でした、悲しい。
 しかし、そんな私にも奇跡が起きました。そう、年下の彼女ができたのです。コミュ障にどうやって彼女ができるのか、と思われそうですが過程は省きます。約3年お付き合いさせていただき、周りからも「明るくなったね」と言ってもらえるようになりました。人間関係の変化が及ぼす影響の大きさを知りました、当時の彼女には今でも感謝しています。

 学生生活ですが、得意の丸暗記を駆使して留年することなくストレートで卒業、「長いものには巻かれろ」ということで大学院に進学しました。大学院もキツい研究室ではなかったのでゆるーく過ごして無事卒業、大学の名を借りて某有名企業に内定をいただくことができました。

闇に堕ちるー社会人時代ー

 それまではずっと地元北海道だったのですが、就職でついに関東進出、さらには人生初の一人暮らしが始まりました!それまでのバイト代からすれば比べ物にならない給料をもらって、金銭感覚がバグってました。家賃も周辺ではかなり高い8万円のところに住んだり、でっかいテレビを買ったり、もう好き放題です。土日はちょくちょく新宿に行って大学時代の友人らと飲み会、お金は飛んでいくばかりでした。

 仕事はと言うと、1年目は大部分が研修だったため、事務所で働く時間が少なかったので大したことはなかったです。2年目くらいから「あれ?」となってきました。これまでのコミュニケーション不足が災いしてか仕事相手や上司を意図せずイラつかせてしまうことが多々発生、また他人を頼って解決する経験が少なかったため人に質問や依頼するのを躊躇うことが多く仕事が停滞。結果、毎日ほとんど残業、報連相もほとんどしなかったため納期ギリギリに上司に白状して指摘をバリバリ受けておりました。人に怒られ慣れてなかったのもあり、だいぶしんどかったです。この時は気付いてなかったのですが、ストレスが心の中に蓄積されていたのだと思います。兆候として、夜遅くに帰宅して、ハイカロリーなコンビニ弁当、さらにはスナック菓子やデザートをムシャムシャしていました。おかげで、入社時から10キロ太ってかなり残念な体型に。。

 問題を先延ばしにし続けた結果、とうとう一昨年のある朝、目が覚めて「もう会社行きたくない。。。」となり、休職生活に突入しました。こうして、世間一般から見れば勝ち組と言われがちな「大学卒業→大手企業」ルートから突如外れたのです。当時の自分は「もう人生終わった。。。。」と完全に落ち込んでいました。

最後にーレールから外れて得たものー

 人生終わったと思っていましたが、休職期間を通じて得たものも多くあります。逆に言えば、あのまま無理して働いていたらこれらに出会うことはなかったと思います。

 まず新たな趣味。たまたま弱虫ペダルのアニメを観ていて「ロードバイクカッケェ!」となり、友人から中古を譲ってもらうところから始まりました。2代目として45万の中級グレードを買ってしまうほどに熱中しました。

 次に運動。メンタルを壊してから空いた時間で本を読み漁るうちに運動がメンタルの調子を良くする効果があることがわかり、早速●●ZAPに入会して筋トレを始めました。自分の体が変わっていくのは変化が目に見えて実感しやすいし、実際気分も上向きます。今でもジムに通ってはいないもののゆるーく続けられています。腹筋割りたい。

 最後に人脈。時間ができたのでとあるオンラインコミュニティに参加してみることにしました。初めてオフ会というものに参加してみるなどコミュ障の自分にしては頑張ったと思います。休職は2回しているのですが、2回目に入った時ここで知り合った方の農家の方に一週間ほど泊めていただきすごく心が落ち着いたのはつい最近です。会社以外にも人脈を持っておくって大事なことです。

 誰しも長い人生必ず一つや二つ大きな挫折は経験すると思いますが、そこにどういう意味を与えるかが重要だと思います。休職して「もうだめだ、人生イヤ」のまま進むルートもありましたが、「どうせ休職になっちゃったんだから何か新しいこと見つけるかー」と考えたおかげで今の自分があります。心のあり方一つで大きく変わるんです。


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