いち中小企業診断士がみる日本の再生支援政策の歴史
この記事を書こうと思った理由
再生支援をしたいという若手診断士の人と話をしていて、再生支援の政策的な流れが分かっていないなと思ったのと、わかりにくいし、まとめて教えてくれるものがないなと思ったのが理由です。
また、「信用保証協会向けの総合的な監督指針」が改正、パブリックコメントの公開もあって、いち中小企業診断士として、まとめてみました。
間違っているところは、ぜひコメント頂ければ幸いです。修正します。
https://www.chusho.meti.go.jp/kinyu/2024/240524_01.pdf(中小企業庁)
バブル崩壊(1990年)
バブル崩壊で経済がガタガタになってしまい、特に金融機関の経営が悪化しました。
大量の不良債権処理を積極的に(システム的に)実施するために、金融検査マニュアル(1999年)を作成して対応を実施されました。
(金融検査マニュアルは2019年12月に廃止)
現在の再生支援の中心組織である中小企業活性化協議会(旧:中小企業再生支援協議会)は2003年に設立されています。
根拠法:「産業活力の再生及び産業活動の革新に関する特別措置法(2003年)」
リーマンショック(2008年)
リーマンショックで大幅に経済が悪化しました。
中小企業の資金繰りが厳しくなったことで、「中小企業金融円滑化法(通称:モラトリアム法)」が施行されました。延長もされましたが、2013年に施行期間が終了します。
ただ、円滑化法の出口が必要になるので、特に税理士団体であるTKCが強く働きかけて、2012年に「中小企業経営力強化支援法(現:中小企業等経営強化法)」によって、認定経営革新等支援機関の制度が創設されました。
多数の案件処理のため、大きい案件はREVIC、中規模案件は協議会、小さい案件は税理士を中心とする認定支援機関が経営改善計画策定支援(通称:405事業)で対応するという方針が取られました。
405事業は405億円の予算が通称になっていますが、かなりの規模だったりします。(令和6年度の概算要求で中⼩企業活性化・事業承継総合⽀援事業予算は223億円です。)
補助額:1件200万円として、2万件分の予算です。TKCは会員に向けて相当推進をしたものの、全然消化されませんでした。
理由としては当初は申請が多数あったものの、計画資料を作成した上で、金融調整が必要なため、なかなか対応ができなかったと聞いています。
405事業の申請件数(取り下げは含まない)
予算はそのあと色々とあったみたいですが、2017年に税理士さんが対応しやすい「早期経営改善計画策定支援事業」が設置されました。実際のところ、早期経営改善計画はTKC所属の税理士のシェアが圧倒的に高いです。
早期経営改善計画策定支援事業の申請件数
ただ、早期経営改善計画では金融調整もないので、出口を目指していくために、2018年に信用保証協会法が改正され、小規模な経営支援は保証協会が支援の中心となる方針に変わってきました。
実際には2015年から始まっています。(大阪でいう経営サポート事業)
結果として中規模案件は協議会、小規模案件は信用保証協会という流れになりました。
ちなみに、ローカルベンチマークについても2016年に経産省が主体的に進めて、現在は405事業などでも活用されています。
コロナ不況(2020年)
コロナ不況が吹き荒れて、経済がストップしました。とはいっても、生きるためにはお金がいるので、補助金、借入で対応をしました。もちろん、リスケの案件も多数になりました。
中小企業活性化協議会の計画策定支援完了件数(全国合計)
ただ、いつまでも猶予するわけにもいきませんので、出口を目指していかないといけない状態になっています。
ただ、返済原資は利益確保のため、経営改善をする以外には方法がありません。そういうわけで、金融庁も令和6年3月8日に再生支援のメッセージを出しています。
今後について
私が関与している色々なところから聞く話を総合すると、今後はますます再生支援の仕事が増えると想定されます。
日本全体の高齢化、人口減少などもあって、時間が過ぎるごとに環境が悪くなるのが見えているので、早々に対応した会社が有利になると思っています。
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