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田舎の音楽活動を支えてくれる人たち 

12年前に岐阜県恵那市に移住してから知り合い親交を深めてきた方が亡くなったという知らせを受けた。

そうオレと歳も離れておらず元気な様子だったのでとても驚いたが、不慮の事故とのことだった。

このnoteでは筆者が岐阜県恵那市に移住して12年の農村暮らしから見えた「田舎暮らしの哲学」を中心にお届けしてます(所要時間約2分)。

彼女は、オレが恵那でジャズライブを企画するようになった当初から、ずっと足を運んできてくれた人たちの中のお一人だった。

移住したばかりのころ、恵那には演奏を聞かせるジャズクラブなどがなかったが(それは今でも変わらないが)、それを逆手にとって、ライブ会場として市内の観光施設や名所的な場所を活用しようと思いついた。

その一番初めのイベントが、城下町にある老舗の酒蔵を会場にしたライブだった。

恵那市岩村町「岩村醸造」の酒蔵にて

移住する前は、ライブというものは専用のハコでやるものだ、と考えていた自分にとっては、自分でライブを企画するという経験がなかったし、本来音楽を演奏する場所でないところにお客さんが集まるかもわからず、最初はとても不安だったのを覚えている。

ふたを開けてみればたくさんのお客さんが来てくれて大成功であったが、その中に彼女もいた。

この成功で、音楽をみんなで楽しむのに特別なハコと機材は必ずしも必要でないことに味をしめた。ハコがなければ、自分で作ればいい。
その後市内のあちこちでライブをしかけるようになったのだが、彼女は毎度のように来てくれた。

それほど多く言葉を交わすわけではなかったが、とても楽しんでもらっているようであった。

恵那に住んでてこんな身近でジャズの生演奏を聴けるようになるとは思わなかった、と言ってくれたこともあった。

コロナ明けの頃、我が家に親しい人を招いたホームライブにもお誘いしたところ来てくれて、やっと音楽が聴けるようになって本当に幸せ、とも言ってくれた。

いつも当たり前のようにライブに顔を出してくれるので、先日地元の方たちと企画して開催した、「天空の里飯地町ライブ」にも、行くとか行けないとか何かしらの連絡があるものと思っていたのだが、亡くなられていたのをライブの数日前に知った。

オレがライブをしたいと言っても聴いてくれる人がいなければ何も始まらない。
何一つつながりのない土地で始めたライブ活動だったのに、よそ者とかなんだとか気にせず接してくれて、音楽を楽しんでくれてたことは、自分がこの土地で音楽を続けていく上でのとても大事な支えになってくれていたことを、突然の訃報で改めて知ることとなった。

オレは市民講座「ジャズの楽しみ方」を担当させてもらっているが、そこでは受講される方々にこんなことを伝えている。
ジャズなんて聞く人も減って、ジャズクラブもどんどんつぶれて、文化として存続が危ぶまれている。正直なところ、都会でもないこの地域でジャズの魅力を発信しても、共感を得られないのではないかと感じている。
しかしオレはジャズと出会ったことで、音楽の奥深さを知り、たくさんの仲間にも恵まれ、人生を豊かにさせてもらった。だからこそ少しでもその魅力を知ってほしいと思っている。
ジャズを知って、ライブに足を運んでくれることで、ジャズは続いていく。皆さんはジャズを支える大事な存在である。ぜひ自分たちの音楽としてジャズを応援してほしい、と。

恵那には彼女を含め、市内で行われる様々な文化的な催しに積極的に参加される方々がいらっしゃる。観るだけでなく、自分たちが作り手になることもある。きっと、自分たちが積極的に参加することで、これらの文化的な活動が持続的な営みになっていくことを自然に知ってらっしゃる。
都会では黙っててもたくさんの楽しいことが用意されているが、こんな地域での楽しい暮らしは、ただ待っててもやってこない。自分たちで作って、足を運んで、場を楽しむことで、また次がある。

持続可能な社会というものは、人口が増えればいい、という話ではない。

彼女たちの振る舞いから学ぶことは本当に多い。オレも精一杯自分にできることをやろう。恵那に来て、彼女と知り合えたことはオレにとっても大事なことだったのだ。

飯地町ライブも地元の方の働きかけでたくさんの方が来てくれた。皆さんの、楽しい時間を過ごしたい、という想いが伝わってきた。会場が盛り上がりを見せる中、客席にいるはずの彼女の姿がないことにあらためて寂しさを覚えた。これまでありがとうございました。合掌。

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