Netflix:バンコック・ブレイキングにみるタイ仏教の思想?
いつもみのっちのマガジンをご愛読いただき、有難うございます。
今日は、Netflixで普段見る機会が少ないタイの作品バンコク・ブレイキング | Netflix (ネットフリックス) 公式サイトの中で観た台詞についてであ〜る。(舌巻いてるね、大丈夫・・?)(大丈夫であ〜る。)(・・?)
実はタイのドラマは生まれて初めての経験だ。(キャ〜)
90%以上のタイ人の皆さんが仏教徒であるタイ。
粗筋は読んだものの、「どんなだろ・・?」と興味と不安(?)が入り混じった心持ちだ。
(う〜ん、どんなんかな〜、ワクワク、ソワソワ、ゴソゴソ・・)(ゴソゴソって何!?)
今日はストーリーの詳細については書かないぞ。
シーズン2も匂わせるエンディングだったが、6話のミニシリーズだから、一気に観終えた。
今回の記事のテーマを理解してもらうために、粗筋の要約を書くぞ。
でないと、最後に落ちないんだよな〜・・
今日のオチは疑問形だぜ。
「お〜、みのっち、深いね。どうなんだろね・・?」ってなると思うぜ。
だから、超簡単に説明するぞ。
自分にとってヒーローのような存在の兄を訪ねてバンコックの空港に着いたワンチャイ。
着いた途端に兄ジョーが車事故で死ぬ。
目の前で目撃したワンチャイ、
疑惑を抱きながらバンコックに留まり、大実業家以下腐敗した権力の悪行を暴くワンチャイと事故現場に居合わせた記者キャット。
結局、兄ジョーの恋人ティーダも悪党一味の手に掛かり・・・無念・・
2人の愛すべき人を亡くしたワンチャイとキャット。
キャットがワンチャイに聞く。
「ジョーとティーダはまた天国でも会えるのかな?」と。
ワンチャイが言う。
「 They have met already. 2人はもう出逢ったから・・」
そして2人が一緒に写っている写真をライターで火をつけ、空に放つ。
❤︎
今でも僕の中で
ワンチャイの言葉が残ってるんだよな〜・・。
すっと落ちない気持ちなんだよな〜。
どう言う意味なんだろ?
「もうジョーとティーダは一度この世で出会ったから、ずっと一緒なのか?」
「もう2人はこの世で出逢ってるから、あの世ではもう巡り会えないのか?」
う〜ん、どう思う?