レイモンド・チャンドラー 『水底の女』

★★★☆☆

 2017年刊行。訳者は村上春樹。『ロング・グッドバイ』から始まったチャンドラー長篇翻訳シリーズも7つめの今回でラストです。訳した順と出版順はちがうので、これが最後の作品というわけではありませんが。

 一応僕はこれまでに出ていた村上春樹訳のチャンドラー作品を出版順に読んできました。『ロング・グッドバイ』が2007年に出たので足かけ10年読んできたことになります。10年と書くと、けっこう長く感じます。

 正直にいうと、僕はチャンドラー作品の魅力を十分に理解しているとは言いがたいです。7作品読んだけれど、いまひとつ残ってないんですよね。さすがに『ロング・グッドバイ』はある程度覚えていますけど、ほかの作品に関しては本当に読んだのかあやしくなるくらい記憶にありません。

 どうしてなのでしょう? 理由がさっぱりわかりません。さらさらと読めるせいかもしれないし、ハードボイルド小説の性質に付随しているものかもしれません。そういえば、ジョー・R・ランズデールのハップ&レナードシリーズも翻訳版は読破したのですが、こちらもまるで記憶に残っていません。僕の頭がプロットやストーリー主導のものを忘れやすいようにできているのかもしれません。
 
 あるいは、深くコミットできる作品とそうでない作品というのがあるだけともいえます。ランズデール大好きな友人はばっちりおぼえていますから。
 時間を置いて再読すれば、チャンドラーの魅力に気がつくかもしれません(ヘミングウェイがそうだったように)。

 さて本作の内容ですが、あとがきでも触れられていたとおり、それほど出来はよくありません。探偵小説に付きものの謎も予想どおりというか、まったく驚きがありませんでした。とはいえ半世紀上前の小説なので、その部分は仕方ないでしょう。70年代のパンクロックがそれほど激しく聞こえないのと同じで、時間が進んでいる以上、過去作品の手法はその後の作品に使われており、僕らはそういったものを散々目にしてしまっているわけですから。
 そういったところ差し引いても、チャンドラー作品のベストではないことは確かでしょう。マーロウシリーズならやはり『ロング・グッドバイ』から読んだ方がいいでしょうね。

 とはいえ、見どころといってはなんですが、あいかわらず比喩は卓抜です。翻訳の腕もあるでしょうが、数ページに一度はハッとさせられました。こちらの予想もしない方向から言葉を持ってくるのが実にうまいです。天才的。アフォリズムというか、短く簡単な言葉で深く印象に残るフレーズを作ることにかけては右に出るものはいないでしょう。

 そういった細かな技術のおかげでついつい読み進めてしまうのかもしれません。逆に言うと、プロットやストーリーがそれほどでもないのにここまで読ませるのは、文章の力以外のなにものでもないでしょう。リズムやテンポ、表現、描写といった筆力のクオリティがすばらしいです。

 ひょっとすると、あまりに気持ちよく読めすぎるせいで、内容を忘れてしまうのかもしれません。

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