Uターンうどん
独り暮らしをしていたことがある。
世間を知らぬまま行き当たりばったりの生活だった。暗い内から仕事に向かい家に帰る頃にはヘトヘトで、日常の買い物すら儘ならない日々。
休日は買い物と家事に消える。慣れない土地で友人もなく、食事は買いだめしたカップ麺が、ほとんど。お鍋を必要とする袋麺を作るのが億劫で、そのまま齧る日さえあった。
無理だと言う両親を振りきっての独り暮らしだったので泣き言を言うわけにいかなかった。両親の方も、今さら大丈夫か?などと聞いてはこない。日に一度、メールをくれるのみだ。
ある日、つもり積もった不摂生が祟って、ひどい風邪をひいた。冷蔵庫は空だしカップ麺もなかったが、買い物に行く体力がなかったので、水だけ飲んで、ひたすら寝ていた。熱がどんどん上がっていく。不安に押し潰され気づくとボロボロ泣いていた。
両親からのメールが届いた。
今日の夕飯 煮込みうどん サンマの塩焼き ポテトサラダ お麩の酢の物
日に一度届くメール。内容は、その日の夕飯。
今さら何を書いても書ききれないし、書けることもなかったのだろう。最低限、食べていれば死なないし、両親も元気にやっているというメッセージ。
もうダメだと思った。このまま頑張る意味も、よい未来も見えなかった。両親の危惧通り、世間知らずは意地を張りきれなかった。帰ろう。
そう決めると、異常な空腹を覚えた。水だけでもと起き上がる。ひどい目眩。外に出られる気がしないけれど耐えがたい空腹に、何か残っていないか戸棚をむやみに開けてみる。小麦粉があった。メールの煮込みうどんが頭をよぎる。
自分のアホさ加減が恐ろしい。私は人生初のうどん打ちを始めた。ふらつく身体とおぼろな記憶で、小麦粉に水と少し塩をいれ、ひたすらこねた。たしか少し寝かせる気がして、うどんも私も一眠りした。
目が覚めると少し身体が軽くなっていた。久しぶりに鍋を使い麺というには、あまりにも太く短いそれを煮込んだ。
美味しかった。具はないし、すいとんみたいだ。でも心だけは実家で煮込みうどんを食べていた。
ここで一念発起できればカッコいいのだけれど、うどんパワーはUターンで使いきってしまった。でも灯台もとにあるものを遠くから見てきたのは意味があったと思う。
相変わらず世間知らずだ。順序でいけば独りになる日も来るだろう。逃げ込める場所も無くなるかもしれない。
でも私は私にしかなれないのだ。まだ来ぬ未来を心配するより、出来る限りの事をするしかない。
とりあえず乾麺をストックしておくくらいは出きるんだ。