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コンクリートの隙間から咲く、一輪の花の凛とした美しさよ。(春だ)
ばあばはどこにいったの?お空にいっちゃったの?なんで?なんで死んじゃったの?と、娘からふっと質問される。
お寺の娘だけれど、全然答えられなくてうーむ、と悩む。こういう死への不安と向き合うために宗教ができたのかなと思うけれども、私自身のなかにはまだまだ馴染みきっていない。(何かが死んでしまった時には、習慣的にお経をあげたりするけれど)どこにいったのか、なくなったのか、まだこのあたりにいるのか。
鯉のぼりは母が意識がなくなるちょっと前に、父に絶対これを息子に買ってくれと伝えてくれていた郡上八幡の立派なもので、なんなら息子が産まれる前から父にオーダーしていたのだった。
娘のお雛様も、母が選んだ。
百貨店からビデオ通話で、ものすごく興奮した様子で「すごく美人のお雛様をみつけた」のだと連絡をしてくれたのを覚えている。おひなさまを出すたびにたぶん思い出すので、ちゃんと自分の跡を残していっている。
わかっていたところもあったのだろうか、自分の命がそんなに長くはもたないことを。(妙に、野生的な勘の強いひとだった。私もそれをすこしだけ引き継いでいる気がする)
急に春がやってきて、なんなら夏の気配すら纏っていて、衣替えをする心の準備がまだできていないのになと思いながら数枚のTシャツを引っ張り出したものをヘビーローテーションしている。
GWには腹を括って衣替えしようか。
息子はもうすぐ2歳になる。おしゃべりが上手なタイプだけれど、まだまだ赤ちゃんである。「だめだよ」と怒られると喜んでさらに暴れてしまったりして、4歳の姉を困らせる。
今朝は紫色の油性ペンを手にしてしまったために、フローリングに消えないむらさきの線。娘の唇にもムラサキの点。ああ。
真剣に「だめだよ!こんなのねえねいやだよ!」と怒る娘の声が聞こえるが、自分は身支度を整えたりしていて、戻った時にはえらいこっちゃであった。
「やさしいおねえちゃんでいたいのに」とこの間、キッチンにやってきて泣いていた娘。ちっちゃいママを任せてしまっているな、と、すこし反省する。私みたいに、反省している。
わかる、わかるよ。
ママもいつでもやさしいママでいたいけど、なんかうまくいかないときってあるよねえ。自分の機嫌を自分でうまく取れない日だってある。あーもう!あーもうって言ってしまう。そしてそれを見事に娘がコピーしていて「あちゃー」と思ったりする。よくみてる、よくきいている。
「ちーちゃん、だっこって」と娘に息子がお甘えているのをみると、きゅんっとする。
やさしすぎるくらい優しいよ、あなたは。
母も見習わなくてはと日々反省してるもの。
あったかい、春。
はるですね。