ドローン少年の孤独 「囲い」が彼を狂わせたのか
浅草の三社祭でドローンを飛ばすとして逮捕された「ドローン少年」。
最近ではすっかりその名前を聞くことがなくなったが、CNETジャパンのニュースで再び取り上げられていた。
記事の内容によると、「生放送配信者に対して特定の配信者にのみ配信したり配信を止めさせたりするような『囲い込み』行為が少年の承認欲求を過剰なものにさせ、過激な行動を引き起こさせたのだという。
たしかに周囲の大人たちから100万円相当の支援を受けなければ、あれほどの事態を引き起こすことはなかっただろう。
また、15歳の少年に資金提供することで、悪影響を及ぼす危険性を考慮しなかった大人たちも大いに反省すべき点はある。
だが、「ドローン少年」の行動を引き起こした原因は、果たして無責任な大人による「囲い込み行為」だけだったのだろうか?
他人から認められたいという「承認欲求」は誰にでもある。ゲームもせずにコツトツと勉強に打ち込んでいる小学生でも、毎日必死に働くサラリーマンでも、常に「誰かから認められたい」と望んでいる。若者たちの大半が何らからのSNSを利用しているのは、そうした承認欲求の現れだと見ることもできるだろう。
誰もが誰かから認められたい。
言い換えれば、誰もが誰かから認められないような状態は避けたいのだ。
あの少年は、有名な中高一貫校に進学したものの、なじめずに市立中学に転入し、新しい学校にもなじめずに卒業するまでほとんど登校していなかったという。
そして、その後進学した高校も中退し、それまで以上に配信業に没頭することになった。
中学校もろくに行かずに、高校も中退した者に対する世間の目は厳しい。「学校に行っていない」というだけで社会的な逸脱者としてみなされ、その行動をすべて否定的にとらえてしまう。
あの少年には、行き過ぎた行動はあったものの、動画配信の分野で多くの支援者を得るほどの才能があったことは事実だ。ルールさえきちんと守って行動すれば、一般のサラリーマンが得る給与よりもはるかに多額の資金を得られる可能性は十分にあり得る。
プロサッカー選手を目指す中学生が海外へ飛び出すことが許されるのなら、配信業のプロを目指して高校へ進学しないという選択師を取ることも許されていいのではないだろうか。
テクノロジーが急速に進歩した社会では、これまでになかった多様な価値観が生まれ、それに合わせてこれまでになかったような新しい「生き方」も生まれてくる。
それをすべて否定することは、新しい価値観を持った人たちの道を閉ざすことにつながる。
孤独なドローンを飛ばし続ける者をこれ以上増やしてはいけない。
参考:
http://japan.cnet.com/sp/smartphone_native/35079620/
http://biz-journal.jp/2015/05/post_10121.html