もう1つの視点
昨日の当事者意識、プレイヤー意識について書きながら、
『もう1つあるね』
と気づきました。
それは、『ゲームを作った人の視点』
つまりは創造主。
ゲームだと、クリエイターというのかな?
ストーリーや、演者、見せ所、クリアする方法、どのタイミングで誰と手会うのか、何を得ていくのかなど諸々。
(雑すぎる…)
当事者がもがけばもがくほど、創造主的には、
「よし、よし、いい感じ」
と思うかもしれない。
プレイヤーもなかなかクリアできないと、
「おー、いいね」
と思うかもしれない。
みんなでワイワイ言いながら、飽きずに長いこと楽しんでくれたら、ご満悦かもしれない。
あっさりクリアする人が多いと、簡単すぎたか。次はもう少し難易度上げよう。
と思うかもしれない。
私が創造主だったら、苦しんだり、もがいたりしてうまく進めないのは、「いいね、予定通りだね。さぁどうする?」と、ただ黙って見ているだろうと思います。
プレイヤーの動きに対しても、「ほう、そういく?それで?」と思って黙って見続けると思います。
でも、そんなに難しくなく、多少の困難はあっても、どうにかクリアできる世界を創るかもしれません。
どのタイミングで誰と出会い、どんな物を得て、どんな物を失って、どんな思いを感じるのか。
キャラクターに応じて、反応も変わる。
キャラクターによって、必要な物も違うし、成長の仕方も違う。
すべてが最善のタイミングで展開されていく。
創造主は、誰がいつ、どのタイミングでどうなるかわかっているので、何の心配もしません。
こうしたらどうかな?
あーゆーのもいいかもしれない。
色々なシチュエーションで無数に造り出せそうです。
自分の人生を上手にクリエイトできる方というのは、この『創造主意識』にいる人たちで、具体的に想像の世界を楽しんでいる人たちなんだろうと思います。
自分もできるだけ創造主意識に近づくためには、まずは当事者意識から抜ける必要があるなと思います。
そして、どんな世界が好みで、どんなストーリーにする?
キャラクターはどんな人たちにしようか?
どんなアイテムがあったら面白い?
どんなラストがいいかな?
そうした、自分だけのストーリーを考えていいはずなのです。
本当は誰の中にも、この『創造主意識』あるはずなんですよね。
本やYouTubeで、『創造主』については語られているのに、今さら『創造主意識』とか言ってるの?
という感じもありますが、
知識として得た言葉を腑に落とすことができていなくて、腑に落とすためにも、ネガティブな感情に飲まれ、感情や思考を動かしていくことが必要だったんだ。
と思っています。
実際にここ最近の私は、ネガティブ感情にまみれ抑うつ的になったり、情緒不安定でよく泣いたりしていました。
プレイヤー意識になって、「でも頑張ってるよね!」と自分励ましたり、みなさんの好きやコメントに励まされ、こうしてみようかな。と前向きな考えが浮かんだりもしました。
かと思えば、すべてをひっくるめて、
「まぁ、この苦しさも必要なのよね。だけど、もっと寄り添いあえる社会だといいな」
なんてちょっと全体を意識する自分もいたりします。
ちょっとしたことで、こんなにも意識(視点)が動くのですね。
できるだけ、プレイヤー意識、創造主意識で過ごす時間を増やしていきたいです。