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【詩小説】年上の同級生

どうしてその学校を選んだのですかと問われれば成績に見合った学校だったのでと答える。
そんな人は多いはずだ。

校風に惹かれて…
教育理念に共感して…

どちらも頭に【御社】と付けたくなる。
就職面接のかしこまった理由でもあるまいし。
ましてや高等学校の話である。
義務教育ではないにしてもせめて高校だけは卒業してねと諭される世の中
高等学校は6・3・(+3)の義務教育の一環となっている。

縁もゆかりもなかったがそれなりに頑張って受験勉強した結果見事選ばれたのがその学校だったというだけのこと。都会の事情はわからないが地方と呼ばれる世界に生きる青春の子らは大概素っ気ない流れの先に進学を果たすのだ。
スポーツに秀でたわけでもなければ一般入試で一発勝負である。高校入試は人生で初めての試練で賭けみたいなものなのかもしれない。

まだスマホもなかった時代。合格発表は学校の敷地につなぎ合わせた横長の掲示板に貼り出された紙から受験番号を探しだすという方法であった。
周りを見渡せば親と一緒に番号を指で追っている者。同じ中学の友達同士で確かめにくる者。私のように一人で見に来る者もいた。
私は自分の番号があることを何度も上下往復して確かめて安堵と予想外の喜びの唐辛子を黙って噛み砕くことで体温がぐんと上昇し汗が噴き出るようだった。

合格するという経験は考えてみればそれまでの人生の中でそんなに味わったことがなかった。
あの合格の経験以降私はそんなものとは無縁の人生を送るのだが…。
まぁ、それはそうとして、無事にその年の春から三年間横長の掲示板の置かれていた校門奥のアーチをくぐる生活が始まった。

入学式を終え新しいクラスの教室へと向かった。私はこの縁もゆかりもない高校へ一人ぼっちで受験した。正確には同じ中学からは名前も知らなかった女子や名前は知っていたが全くといっていいほど会話したこともなかった男子が二、三人ほどはいたが実際それはいないに等しいわけで。
つまりはもうほとんど新世界。
知らない土地にやって来てしまった。
不安を踏み台にどうやって開拓していこうかという策略が先に立ってしまっていた。
それはワクワクだったのだと今になってみるとわかる。
小心者で順応性は正直未知数。自己分析が出来ていなかった私はとにかく第一印象とファーストアクションに重点を置いた。
下手なことすると即ゲームオーバー。
はじめが全てだ。

一年生のはじめて入った教室を見渡した。
幸い後方の座席だったこともあり、生徒を星座のように線で繋いで眺めることが出来た。
あの二人は同じ中学出身でしかも仲も良い二人だなとか。あの隣同士の二人は探りあってはいるがきっと仲良くはなれないだろうとか。会話や様子を観察、分析していた。
いや、根拠も薄い単なる妄想だった。
自分の分析すら出来ないのだから。
でも、明らかに一人窓側でノートをとっている男子生徒はその他の生徒とは違った空気を放っていた。
近寄りがたいといってしまえばそれまでだが、何か妙な落ち着きというか、一抹の諦めというか、翳りというか。
とにかくなんだかとても大人びてみえた。

私は差し障りない笑顔と返事でプリントを受け取った。
波平さん似の担任の抑揚のない話し方が業務的でなんだか苛立った。波平先生は生徒ひとりひとりの自己紹介を提案した。そして淡々と形式的に自己紹介は進行されていった。後方の座席の私の順番は最後の方だ。
そうこうしているうちに順番は例の窓際の異彩を放つ男子生徒にたどりついていた。

「Sです。だぶってもう一回一年生することになりました。よろしくお願いします。」

教室がひやぁ~とまるで漫画の一コマの擬音が目で確認できる程一瞬で温度が下がったようだった。
留年って実際あるんだと目の当たりにした。
はじめての感覚。
あぁ、やはり高校は義務教育じゃないのだなと私の背中が自然にピンと張りつめた。

(+3)は所詮(+3)

そして表情を変えず淡々と波平先生は次の生徒に自己紹介を求めた。

本当なら今頃は下の階で二年生になっていたはずのS君は静かに着席して配布されたプリントに新品ではない筆記用具一式でこまめに記していた。
大人っぽいと感じたことは間違いではなかったわけだ。実際一つ年上なのだから。
社会に出ての一年違いと学校生活での生徒にとっての一年違いは全く異なる。
この一年は遥かに大きかった。
敬語を使うべきなのか?例えS君が気を遣わないでくれと言ってきてもこの事実を知った上で小突いたり出来るだろうか。ふざけあうことが出来るだろうか。
いっきにS君との間に分厚い壁が積み上がってしまった。

私の自己紹介は映画で観た似たようなシチュエーションのシーンの無難な台詞を少し拝借して済ませた。
何の印象も残らないだろう。もし、その映画の熱烈なファンでなければの話だが。

入学式とオリエンテーションは午前中に終わった。
明日から本格的に授業が始まる。
私は新しい鞄に新しい教科書などを詰め込み明日使う教科書や参考書はロッカーの中に置いて帰った。

S君はもう一年、一年生をしなきゃいけないのか。
今日はとても落ち着いて冷静だったけど途中で嫌にならないだろうか。
なんで年下と弁当食べたり体育でサッカーしたりテストの点数を比べられなきゃいけないんだとムカついたりしないだろうか。
その夜、なぜかS君のことが頭から離れなかった。


きっとS君とは仲良くはなれないことも直感的にわかっていた……。

「ねぇ、昨日の自己紹介、小津安二郎監督の映画?」
私は心臓が止まりそうになった。
ドキン、もしくはドクンと耳で音が破裂したようだった。
私はS君から夢にもみてなかった質問をされた。
第一印象、第一印象…
頭の中は関ヶ原の合戦の如く敵味方が入り乱れる混乱の渦中ではあったが、そう咄嗟に言い聞かせた。
「まぁ、ちょっとね」
精一杯のすました演技だった。
「俺さ、映画大好きなんだ。特に昔のモノクロ映画。小津安二郎なんて最高にいかしてるよ」
S君はとてもナチュラルに口角を上げて目を解して、つまりは柔らかな表情で無邪気に話した。
「Sさんもそう思いますか?」
なるべく言葉少なに最低限の会話を…と、意識する私は自分でも不自然にぎこちないのがわかった。
S君はそよ風みたいに笑って
「やめてよ、そのSさんっての。まぁ、仕方ないっちゃ仕方ないか。K君が楽な方でいいよ。敬語でも。なんだっていいよ。」
S君が私の名前をさらりと口に出した。
それだけのことがとても嬉しく感じた。
本当に私は分析力がない。
昨夜、S君とは直感的に仲良くなれないと断言するまで思ったところなのに。もうこれだ。

「俺のこと扱いづらいよな。みんな腫れ物触るみたいだもんな。思ってたより『だぶり』って風当たり強いんだなぁ、て…。でも、昨日のK君の自己紹介、まじで笑いこらえるの必死だったよ。もしあそこで笑ってたら完璧ヤバい奴だもんな。致命傷になるとこだったんだぜ」

S君は予想を見事に裏切る饒舌でよく話す年上の同級生だった。

「まさか誰もあの小津映画を知ってるなんて思ってもなかったから。ごめん」
とりあえず謝っておこう。軽くフランクに。
私は一時間目の英語の教科書やらノートやらをゆっくり時間を稼ぐように引き出しから取り出してシャーペンの芯なんか意味もなく交換したりした。もう、こちらから切り出す会話はなかった。このまま何かしら手を動かしていればS君は窓の席に戻るだろうと高を括っていた。

「今日さ、弁当一緒に食べようぜ。俺、良い場所知ってんだ」

誘われた。なんてこった。なんだこの展開は。
S君はことごとく私の予想を裏切ってくる。
私は迷ってはいけないと反射的に
承諾した。
嬉しくも嫌そうでもない抑揚のない返事で。
まるで昨日の波平先生ではないか。

昼食の時間まで落ち着かなかった。
時計ばかり見ている。
授業初日で他にも慣れないことは山積みなのに私にはS君との弁当で頭が一杯だった。

なんだ?良い場所って。もしかして人気のない場所でS君の「だち」が私をかつあげする為に待ち伏せているのでは…
などとS君にはとんでもなく失礼な妄想に走ってしまった。
留年するって一体何をしでかしたんだ。
真っ先に思い浮かんだのは素行の悪さだった。
喧嘩か。バイクで暴走か。一体何をしたのだ。
あぁ、もう私はS君の極悪な妄想しか出来なくなっていた。

昼休みだ。チャイムが鳴っている。
教室中がどぎまぎと一緒に食べようか?などと手探りで相手やグループを形成していく。
私の目の前にはS君が爽やかを通りすぎて不気味に微笑んで立っていた。
もう…ついていくしかなかった。

私とS君は教室を出て階段を上った。
どこまで行くんだ。

「はじめての屋上だろ?」

S君は屋上への扉を開けると四月の甘い風がふわっと顔に飛び込んできた。
S君のK-POPアイドルみたいなさらさらで黒い髪がなびいた。

空は水溜まりに写る青空のように少し淡く準備していたかのように雀が鳴いて飛んでいった。
とても爽快だった。
風は体や脳のモヤモヤを吹き飛ばした。
そしてなにより屋上からの街の眺めはSNSでよく見かけるアニメのような風景写真のように美しかった。
大型ショッピングモールのピンクの箱がルビーの粒のように輝きその奥に海が広がっている。
幹線道路が針金みたいにカーブを描きドット絵の自動車が一定の速度で流れていく。
幾つもの山々が雲の影で色を変え見知らぬ土地に来たような見たこともない桜の短冊が川沿いに咲いていた。
地方都市の縮図が点々にそれぞれの領域を囲っているのが目でわかる。

「新一年生でK君が一番乗りじゃないかな?すごいだろ?この学校の屋上からの眺め。新海誠監督映画みたいだろ?」
S君が振り返って自慢気に言う。

「すげぇ」
私は演じるだのなんだのという発想をすっかり忘れていた。
「すげぇーよ!S君!まじですげぇーよ!」
もう計算もキャラも関係なかった。
同時に午前中のS君への偏見の数々の妄想を心から恥じた。

私とS君は弁当を食べながら映画の話や学校の先生のこと、二年のFには気をつけろなど昼休みの45分間を喋り倒した。
憂鬱でしかなかった午前中が嘘のように、楽しくてあっという間に時間は過ぎた。

「病院の屋上は風の匂いまで死がこびりついてるようでさ。深呼吸したってちっとも心が晴れないんだ。やっぱり俺はこの屋上が一番だと思うんだ。」

S君は一年生の夏前からずっと大病を患って入院していた。
年が明けて退院しても出席日数が足りずにまた一年生からやり直すことになった。
まだ通院はしていてその度病院の屋上に上っては入院中と同じことを思うそうだ。
入院中のS君の楽しみといえば映画を観ることくらいだった。もともと映画が好きだったS君は消灯後の病室で布団を被ってスマホで映画を観ていた。小津安二郎作品は音漏れも気にしないで楽しめたそうだ。
互いの映画論で盛り上がった。

好きな監督は?
「せーの、藤田敏八!」

好きな俳優は?
「せーの、梶芽衣子!」

好きなホラー映画は?
「せーの、貞子VS伽耶子!」

私とS君は大笑いした。
誰もいない屋上で、腹を抱えて笑った。

私とS君は次の日から毎日屋上で一緒に弁当を食べた。
雨の日は屋上へつづく階段に座って食べた。

私はいつの間にか身構えなくなった。
ひとをわかった気になることをやめた。
屋上には屋根がない。
天気ひとつで景色は変わる。
ひとにも雲が流れている。
私には天気を変えられない。
そうだ。何もわからないのだ。

私は今の二年生にS君がいなくて良かったと思った。
私はS君と同じ一年生で同じクラスだ。
私はS君と一緒に卒業できる。
それは奇跡の確率だ。
ただ素直に喜べばいい。


私はたまに思い出す。
S君は私よりひとつ年上だったのだと。
そしてS君が月に何度か通院する日
弁当を一人で食べている時
私とS君は同級生なんだと。

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