タジキスタン・パミール再訪記9 〜ドゥシャンベ→アフガニスタン国境〜
2023年4月24日。ついにドゥシャンベからパミールへと向かう日である。今回が2回目となるパミール・ハイウェイ。険しい道ではあるが、同時に懐かしくもある。今回はどのような旅になるのだろうか。
パミール行き乗合タクシー乗り場にて
朝は6時頃に起きて、廊下でスマホの充電をしつつ出発の準備を行い、6時45分頃に宿を出て乗合タクシー乗り場へと向かった。宿では朝食も提供されているが、時間は7時からなので食べずに出た。
宿を出てすぐのところで、タクシー手配の人(?)に声をかけられた。近くで運転手さんと思しき人と料金交渉をしている人がいて、「この人と乗らないか」と勧められた。
料金交渉をしていた人は日本人で、Tさんという関東出身の学生さんだった。大学を休学して世界一周の旅をしており、そろそろ復学する頃だとのことだった。Tさんは日本人にここで会うのは初めてだと言ったが、私もタジキスタンで日本人に会ったのは初めてだった。
料金は運転手さん(?)側が400ソモニ(約5000円)よりも安くはしないといった感じだったが、Tさんによると350ソモニでもいけるはずだとのことだった。私だけだと400ソモニで妥協してしまっていただろうが、Tさんは350ソモニで粘り、最終的にはタクシー手配の人が350ソモニにしようということで話をまとめ、運転手さんもこの時はそれで合意していた。
タクシーが発車するまで待っている途中、周囲の人とシュグニー語でちょくちょく話をした。Tさんは私がタジキスタン語を複数話せることを「すごいっすよ」と言ってくれた。
朝食
タクシーはまだ出発する気配は無い。しばらくすると、近くのおじさんに朝食を食べたらどうかと言われたので、Tさんと私とでタクシー乗り場のところにある食堂に行き朝食を取ることにした。私はシールチョーイ(パミール風バター入り塩味ミルクティー)とナン(シュグニー語で「ガルザ / garδa」)を食べ、Tさんはもっとちゃんとした食事を食べた。Tさんはシールチョーイにも興味があるようだった。
朝食から戻っても、車は一向に発車しなかった。乗客と思しき人は、最初の頃から真ん中の席に座っているおじいさん、Tさん、私、後のほうにやって来た親子の3人連れ(のうち、前の席に座っていたお母さんと小さな娘さんの2人か?)、他に周辺にたむろしている人の中にも乗客はいるのかもしれない。これなら宿で朝食を食べててても良かったかな、と思った。Tさんは次に行く国のビザの申請手続きをしていた。
乗合タクシーの乗客
乗合タクシーは、最終的には11時頃に乗客が揃った。乗客は前の席にはおじさん2人(+運転手さん)、真ん中の席にはおばあさんと小さな娘さん(ご両親?は乗らなかった)とおじさん、後ろの席に私、タジク人(パミール人ではない)のお兄ちゃん、Tさん。Tさんはタジキスタン(およびパミール・ハイウェイ)は初とのことなので、せっかくなのでアフガニスタン側が見える進行方向右側に座ってもらい、私は前回とは逆の進行方向左側に座った。
私とTさんの間には、後から来たタジク人のお兄ちゃんが座った。シュグニー語で「ツァラング・トゥ・アーウォール?」(お元気ですか?)と聞いたが通じなかったので、タジク語で話をしたところ、本人も両親もドゥシャンベ出身で、パミールとは特に地縁があるわけではなく、観光で行くとのことだった。
アフガン国境への道
ドゥシャンベを出発した乗合タクシーの車内は、今回は音楽は無しだった。途中、前回ホログ→ドゥシャンベを乗った時に立ち寄ったであろう露店風のナッツ類系売り場や、中国あるいは日本系資本によるトンネルを確認したりした。
ヌレク湖
巨大なダム湖であるヌレク湖が進行方向左側に見えてくると、Tさんが「めっちゃきれいじゃないっすか」と言った。私もヌレク湖は前回は見ていなかったので、今回初めて見る景色だった。
私は前回もヌレク湖の横を通るのは楽しみにしていて、進行方向左側に注目していたはずだが、何故か見落としてしまっていた。今回ヌレク湖沿いの道路を走っている間、異なる角度からそれなりの時間、それなりに広々とした感じで湖を見ることができた。前回は進行方向右側とはいえ前列だったし、どこをどうしたら見落せたのかは全くの謎である。
緑の草原
周囲の山々や丘は緑に覆われていて美しかった。前回夏に来た時とは印象がまるで違う。緑の草原あるいは畑に、ところどころ菜の花(?)で黄色くなっている部分もあった。草原の丘に木が一本立っているのはかなり絵になると思った。
前回のこの区間は一面枯草の景色という印象があったが、パミール方面はそもそも植生が無い印象だったので、「パミールに行くと山も緑がなくなる」とTさんに言ってしまった。しかし、実際にはこの時期はパミールでもそれなりに緑があることを後に目撃することになる。
タジク語実践会話
隣のお兄ちゃんとは、タジク語でいろいろと話をした。パミール・ハイウェイではシュグニー語を使うことになると思っていたが、予期せずしてタジク語実践会話の場になった。
昨日のドゥシャンベでは予期せずしてシュグニー語実践会話の機会があったので、シュグニー語を使う場所とタジク語を使う場所とが想定の逆になった、と言えるかもしれない。
お兄ちゃんとは、家族のことについていろいろと話をした。お兄ちゃんは、自分は結婚して子供がいるが何故そちらは結婚していないのか、といったような話を主にしてきた。私は、日本では多くの人が結婚は難しいと思っている、私も15歳の頃から結婚したいと思っているが未だできていない、といったような話をした。
昼食
クローブ(クリャーブ)の手前で一度小休憩をし、トイレに行った。クローブの町は、中心部を避ける道を通って、クローブをある程度過ぎたところにあるレストランで遅めの昼食となった。
席にはおじさん、Tさん、私の3人が座り、私とTさんはラグモン(ラグマン。中央アジア風麺料理)を食べた。Tさんはおじさんの食べているライス系のものが気になり、何かと聞くと「カツレツ」とのことだった。Tさんも「カツレツ」を追加で注文するが、最初に出てきたのはカツレツ(キエフ風カツレツ?)の単体のみ。そうではなくてこんな感じの、とおじさんのカツレツを示すと、次はそれにソースだけかかったものが出てきた。そうではなくてお米とかも、と言って、ようやくおじさんと同じ感じのものが出てきた。
アフガニスタン国境へ
アフガニスタン国境のある程度手前の部分での検問では、前回は自分で手続きに行ったが、今回は運転手さんにパスポートとビザを渡した。Tさんは、パミール・パーミットの原本は屋根の荷物の中にあるとのことで、スマホの画像をスマホごと預けていた。
アフガニスタン国境まで来ると、タジク人のお兄ちゃんが前回私がアフガニスタンだと思っていた場所を指して「あそこはまだタジキスタンだ」と言った。私は「前回はあそこはアフガニスタンだと思っていた」と答えた。私がその場所がまだタジキスタンだと気付いたのは、前回の帰国後、旅行記執筆中に写真とGoogle Mapの衛星写真を見比べてからである。
パンジ川を挟んだアフガニスタン側、および手前のタジキスタン側の山々は、前回来た時は不毛な場所というイメージだったが、今回は緑との絶妙なまだらになっていて非常に美しかった。
(続く)
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