第2回カモガワ奇想短編グランプリに挑戦しました
いつも小説のコンテストに応募した後は、こういう反省文を、結果が出る前に書いているんだが。
ちょっと油断していたら、応募締切二日後くらいにもう一次選考通過作と最終候補作が発表となった。昨年のコンテストスケジュールを読み間違えていて、てっきり結果が出るまで一ヶ月かかると思い込んでいました。
審査、早!!! 選考をお一人で行っているらしいことにびっくりするが、さらに大きな驚きが待ち受けていた。
最終選考に残りました。
審査の内容が聞けるかもしれないしと思って(創作側にとって、わりと貴重なヒントなのだ)、念の為スペース聞いていたら、自分の筆名と作品名が呼ばれてマジでびっくりしました。
…恒例の反省いきます(あっさりしてんねー)
こちら、かなり苦戦して書いた記憶がある。
理由としては執筆体力面が大きかった。一年間くらいほぼずっと何かしらのコンテストのために短編を書き続けていたから疲れてしまったのかなと(自治会行事も重なっていたし)。アイディア自体はかなりキャッチー(当方比)で、応募要項の「一行梗概」も「三行梗概」も悩むことなく書けるくらいにははっきりとした内容だった。にも関わらず…。
問題は本文。筆が乗らないまま3000字程度でストップ。一応結末まで書いてあったが、いくらなんでも骨組みだけすぎてとても応募する気にはならなかった。PCの前に座っても肉付けがまったく進まず。だから一週間くらい放置。
自分としてはこういうことを言うのは珍しい気がする。一度、応募を諦めていた。
そのまま応募しなかったことについては自分を褒めたい。おかげで、締切最終日に3000字程度一気に加筆して、応募したわけだから。その結果が最終選考残留だった。こういうことも起きるのだなと、良い経験になりました。
余談。なんで最終日に書けたかというと、その二日ほど前にエックスで相互になった作家さんのnoteを読み、私のために書かれたと(勝手に)思い(込み)、励まされたからです。本当に私は創作関係の「縁」に恵まれていると思う。
肉付けは結局うまくいったのかもしれないが(結果オーライ)、読み直してみると、急いで書いた分、やや雑然としている感があるかなと。物語の締め方は気に入っているから、自己評価的にはプラマイゼロだろうか。
コンテストを知ったきっかけが、「選評」の評判を知ったこと。エックスのTLだっただろうか? 応募数もめちゃくちゃ多いわけでもなく、挑戦してみてもいいカモな〜とゆるく考えていた。
しかし、『奇想』ってなんだ??
…と思ったのを覚えている。知らないカテゴリーに応募は出来ないから、前回入賞作や最終候補作を読んでみた(主催側が、入賞作をnoteで読めるようにしてくださっていた)。
感想は、
「なんだこれは。すっげえ…(笑顔で引く)」
あたらよの入賞作を読んだときの衝撃もすごかったけど、また別のぶっ飛びを感じ取った。
私の少ない経験や思い出からすると、エドワード・ゴーリーのイラストを見た時や、ミヒャエル・エンデの「迷宮」を読んだ時の戸惑いに似ていたと言いますか。
「じゃあ書きますか」←
さなコンの作品がかなり真面目なトーンでゴリゴリ書いた反動か、その後3つくらい書いたのが、自分の中ではぶっ飛んでる感じ。その中の一つがこちらのコンテストで応募したもの。選考に進めたと知ったときは、「私、こういうものを書いてよいのだな(ニヤリ)」だった。だから残り二作も、なんらかの形で公開するのが楽しみだったりします。
2024/10/7追記
入賞はしませんでしたが、大変ありがたい作品個別の選評を掲載していただきました…などという飛び跳ねて万歳したい気持ちはさておき。審査員の鯨井氏が中間発表のスペースでも仰っていた「選ぶということは、何かを選ばないということだ」という印象的な言葉が、昨日の全体選評でも書かれていました。審査に臨む苦しみがにじむ選評でした。
普段コンテストでは一方通行であることが多く審査員の方々がどういった考えであるかがここまでは分からないものですが、審査員にも審査員という「人間」としての立場や思いがあるのだと気付かされる内容でした。
最近の私は妖怪選評乞食と化してましたが、それはまあ仕方なくもありそれとしつつ、審査する側への思いやりの経験値を少しばかり増したいと、そんなことを思いました。
選評に見合う創作をおこなっていきたいと、そんな決意をしたくなるコンテスト終幕でありました。
応募してよかったです。