8/44 嫌われる勇気

カリフォルニア州は、外出自粛制限から4ヶ月目に入っている。

自分の時間の使い方、自分自身との付き合い方、他者とのつながりを考えたり、自分の人生を見つめたり、今後の人生のために時間を使っている自粛生活も悪くない。むしろ私はこの期間に見つけた生活と、自分との付き合い方が気に入っている。

そういう風に考える人は、実は多いのではないかと思う。

本日の本である『嫌われる勇気』は発売されると共にベストセラーになり、老若男女問わず読まれた本として印象が強い。私も流行に乗るようにこの本を書い読んだ記憶がある。

『嫌われる勇気』岸見一郎、古賀史健著

多くの本は一度読まれたらそれっきりになることがほとんどだと思うが、本は何度も読んでみると面白い。気になる箇所にマーカーを引いているのだが、前回はこんな所が気になっていたのか。とか、また同じ所が気になっている。など、過去と今の自分に気づく。そして、90パーセント以上は初めて読んでいるように感じる。ということは、ほとんど忘れているということだ。

だから、初心の気持ちでこの本を読むことができた。

人生に悩む青年は、哲人との対話でアドラー哲学を学び、人生への理解を深めていく。

私のポイントは、

①課題の分離:1日の多くの時間、ほとんどの時間を人の問題を解決するために使っていることに気づく。”家族が、子供が、部下が、上司が、友達が○○してくれない。わかってくれない。心配だ。”といった自分以外の人が主語になっていることが思考の中で溢れている。それは、その人のことであり、自分のことではない。だからと言って、他者に対して無関心になれと言っているのではない。協力はできるけれども、その人の課題はその人のモノであり、自分がその人の代わりに解決できないということを理解することである。その人の課題を自分のことのように考える優しさは素晴らしいと思うが、やはり、それは誰の課題かをしっかりと線引きする必要がある。

②今、何を選択するのか:今の現状は全て自分がつくっているいうのが、基本的な考え方である。誰かのせいではなく、自分がつくりたい世界をつくっている。過去に否定的なことがあったから、過去からの延長で現在このような状況になっていると考えることができるが、この考え方を否定している。今を過去の影響を受けずにつくりことができる。それは、本人次第である。

③共同体の意識を持つこと:アドラー哲学では、他者の問題と自分の問題を切り離して考えるが、それは個人主義に走ることを提言しているわけではない。自分の良い面も欠点もありのまま無受験に自分を受け入れる自己受容。他者は変えることはできないが、無条件に他者を信じる他者信頼。そして、他者貢献では、自分は何ができるか考える、まさに自分と他者への愛の哲学ということ。

私は以前から気になっていることがある。

それは、

何でもかんでもジャッジすること。

人生に起きることや、周囲に現れる現象、自分以外の他者に対して、これは善、これは悪と簡単にジャッジすることが多い。私は、嫌われたくない、反感を買いたくないという気持ちから、大多数の意見に従うことが多くあった。同時に、自分の心は本当にそうなのか?と自分の意見に対して疑問を多く持つことがあった。

この本を今回読んだ後、これは自分の問題、これは他者の問題である。と分けて考えることを意識するようになった。ただ、他者の問題だから自分には関係ないと考えるのではなく、自分ならどう考える?自分ならどうする?と考える習慣をつける機会になっている。

そう思うと、日常や人生の中で起こることは、善悪でジャッジできないことが多く、それはそれで非常に美しい出来事に見えることがある。

例えば、この自粛生活もそう。この自粛生活は世界で起きた。どこか遠い国話ではなく、全世界でほぼ同時に起きた。生命を脅かすウイルスを喜ぶ人はあまりいないと思うが、手探りではあるけれども、世の中が変わろうとしている。世の中だけでなく、一人ひとりが変わろうとしていると思うと、一概に悪と判断することはできない。

私はこの時期、自分の息子が私の価値観を拡大してくれていることに気づいた。彼は、私の人生観を変える先生である。将来は時間を忘れ流くらい夢中になることを仕事にしたい。もう一度結婚して家族もつくりたい。女性性をもっと表現していい。もっと自分を無条件に受け入れ愛していいんだ。ということを得た。私は当たり前のようなことに、以前は気づくことができなかった。だから、この自粛生活に感謝している。

だから、全て善悪でジャッジすることはできない。この先の未来で、全てのことや人に対してジャッジするよりも、自分ならどうするか?どう行動するか?にフォーカスしたい。

こんなことを考える独立記念日だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?