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「天罰が下る」という危機管理はアリなのか?

とある日、職場の終礼での出来事。

上司が訓示を述べていた。「最近人に迷惑をかける輩が増えている」というような話だった。そこから話は展開し、他人に迷惑をかけさらにその後始末のせいで人の仕事を増やす人間がいる、という危機感を述べだした。

話は佳境に入った。「己をコントロールしろ」からの訓示の締めの言葉は、「人から後ろ指刺されるようなことをする人間は、いつか天罰が下るからね。お天道様は見ているんだからね。」であった。

何が一体上司にそう言わしめたのかは分からない。ただ、上司の立場上、どうしても迷惑をかけないで欲しかっただけなのだろう。そして、危機管理対策の一環として、釘を刺したかっただけなのだろう。

小さい時から「そんなことしたら、バチが当たるよ」と聞かされて育っている人は多いと思う。それによって仮に人が見ていなくても、やってはいけないことをやらないでいられるような無意識のストッパーが作られるし、それなりに効果もあると思われる。
これに近しい例として、よくゴミのポイ捨てがされる場所に、ゴミ捨て抑止のための手作りの鳥居がそっと立てかけられていたりするのを見かけるが、これも日本人の心理をよく理解している対策だと思う。

でも、「天罰が下るからね」にはモヤモヤ感が残った。果たしてこれは危機管理なのだろうか。公な場での管理職による危機管理手法として使われるものなのか…。それはアリなのか…?仮にアリなら、公人が記者会見でも使えるレベルなのか?

「天罰が下るからね」の終礼後、違和感で胸がざわついていたが、ふと気がついた。そして心の中で「お前がな!」と小さくつぶやいた。モヤモヤが少し小さくなったような気がした。

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