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真夜中乙女戦争

数年前から、ずっと好きな文章を書く人がいます。


「いつか別れる。でもそれは今日ではない」

「真夜中乙女戦争」の著者のFさんです。


真夜中乙女戦争読了後、instagramのアカウントで少しだけ感想を書きました。

フォロワー数だって確か3(現状3なだけであり0が基本)とか、私の好きなことを載せているだけで不特定多数に見られる想定なんてSNSのくせにしてないアカウント。

どう足掻いたって本心。だって人に見せるように書いていない。

率直に思ったこと、自分が分かればいいやって書いた文章でした。

見つけてくれて嬉しかった。


孤独な文章だけど、それが心地いいくらい馴染んできたのです。自分だとか周囲だとか世間体だとかが分からなくなる度にツイートを読んでいた。だから、今作もフレーズを噛み砕くのに時間なんてかからなかった。伝わってるといい。


私にとって一番文章が書きやすいのは、TwitterでもinstagramでもWordでもiPhoneのメモ帳でも紙切れでもなくてこのnoteだから

折角なら、もう一度思うままに感想を書いてみようと思う。


「恋愛がしたいんじゃない。私はあなたと永遠になりたかったのだ」

核心を突かれた文章。

今のどうしようもない現状にしっくりくる言葉。

関係の名前や友人の承認じゃなく、ただ永遠がほしかった。


好きな人ができたとして、離れるのこわい。すげえこわい。

付き合うことを目標として恋愛をしていた時期だってもちろんあった。

でも、ある時、この人は自分にとって大切な存在なのだと認識したとき、全てが邪魔に思えた。

彼氏彼女という関係の名前も、「今何ヵ月?」という質問も、私を思っていい人かどうか見定めてくれる友人の承認も。

きっと、本心はいつだってそうだった。

でも結局は世間体に振り回されて、不安になった時、気付いたら認めてほしいと周囲を自ら頼る。意見してもらう。どうしようもない違和感。無限ループ。暴力的な本心があった。私はそんな優しくない自分に、気付きたくなかったんだと思う。

そんなループの間にすっと入り込んできたのが「真夜中乙女戦争」だった。

この物語の登場人物たちは、暴力的で、美しかった。

時に考えすぎ。時に考えなさすぎ。知らず知らずのうちに、どうしようもない不安とか怒りとかと付き合って生きていた。

たまに惹かれるフレーズに出会った時は、何度も読み返して物語の先に進むのを惜しんだ。なんとか読み終えた。

登場人物も情景も感情もぶっ壊れるような本だった。

なのに、そこに紛れた私に寄り添う幾つかのフレーズは生きている。

人によって、響く箇所は違うんだと思う。

それを壊れながらも探すのは、悪くない。


優しさだって冷酷と言われる時がある。

なら、独りよがりな考え方に気付いてもよかった。

自分くらい、自分のことをもっと肯定してもよかった。


前作から好きです。

読んで学んだというより、元々あった何かを見つめる時間でした。


この本を読み返す・返さない論争ですが、私は不意に適当なページを開いてしまいます。どこを読んでもFさんだ。きっと、また最初からいつか読み返します。


なので、これからもよろしくお願いしますと思っている。

勝手な話。お付き合いいただき有難うございました。



前作


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