見出し画像

三代目が受継いだ「ふく成」の歴史

私たちは⽔産卸の会社として創業から60年を迎え、オンラインを通じて熊本県天草市御所浦町から私たちが大切に育てた「とらふぐ」と「真鯛」を全国へお届けしています!

私たちが現在全国へ美味しい真鯛やとらふぐをお届けできているのは、先々代が始めた真鯛の養殖がルーツとなっています。
長くなってしまいますが、少しだけお付き合いください。

写真 2020-12-09 15 31 42

1960年、先々代の平尾福雄(ふくお)は、漁師をしていましたが、冬場になると魚が獲れずに生活苦から真鯛の養殖を始めました。

当時は、天然の真鯛の稚魚が豊富に泳いでいたこともあり、その稚魚を獲り、育てるということから始めたのです。年間通じて天然よりも美味しい真鯛を安定供給するというのは、当時はとても大変でした。
餌料により身の締りも脂ののりも発色も異なるため、天然真鯛には及ばない日々が続きました。
失敗しては別の方法を試し、島の漁師仲間たちと何年も何年もかけて諦めずに挑戦し続けた末に、天然に負けないくらいの美味しい真鯛を年中出荷できるようになったのです。

今では、ふく成オリジナルブレンドの真鯛専用の餌料を与え、環境の工夫も重ね、天然よりも脂がのった色艶の良いふっくら肉厚の真鯛を全国各地にお届けできるまでになりました。

画像4


ー とらふぐ養殖への挑戦

真鯛の養殖技術を見込まれ、1979年には、先代の平尾福成(ふくなり)が、当時お客さんでもあった業界では有名な大分の業者さんより「年間通じて安定してとらふぐを養殖してもらえないか?」という要望に、先代は「3年待ってほしい」と応える形でとらふぐ養殖を熊本県で初めて取り組みました。
真鯛の養殖技術を応用するだけでは上手くいかないだろうと思ってはいたものの、いざ初めてみると様々な魚病に悩まされたり、とらふぐの神経質な性格からお互いが噛み合い傷つけ合ったり、うまく生育しないため歩留まりも悪く採算も合いませんでした。

そこで、他県から得たホルマリンを使った養殖方法を取り入れると大きく成長したとらふぐを安定供給できるようになったのです。
御所浦町全体にこの養殖方法を広め、熊本とらふぐは全国1位の生産量を誇るまでになり、町には活気が溢れ、多くの老若男女が働いていました。
良質なとらふぐが育つ天草の海は「宝の海」と呼ばれました。

画像2

しかし、順調だったとらふぐのホルマリンを使用した養殖方法では、近隣の真珠が死滅してしまうことがわかり全国的にホルマリン養殖方法は禁止されました。
とらふぐ養殖はふりだしに戻ってしまいました。廃業する仲間も大勢出てきました。

先々代から受け継がれた諦めずに挑戦し続ける精神で取り組む新しいとらふぐ養殖では、さまざまな創意工夫と環境改善、失敗を繰り返しながら年数をかけて、少しずつ生育できるようになってきました。

幾度となく辞めようと考えましたが、
待っているお客さんがいること、苦しいながら支えている家族がいること、廃業せざるを得なかった仲間のことを思うと赤字続きでも諦めるわけにはいかなかったのです。

5年の歳月をかけ管理方法も定着し、餌料の改良も重ね、ホルマリンを使用していた頃のとらふぐを養殖できることに成功してからは、徐々に生産量も増え、また全国へ安定供給ができるようになりました。

六福(原魚)


ー 未来へ繋ぐバトン

私は、先々代、先代から

「決して諦めずに努力し続けること」
「自分たちに関わるすべての人が笑顔になれること」

というバトンを受け取りました。

写真 2020-07-01 6 39 56

2019年には、天然のとらふぐとふく成のとらふぐを化学的に検証し、天然の6倍もの旨味成分をもつブランドとらふぐ「六福」が誕生し、全国の料理店へ取り扱いが広まってきています。

熊本県は全国2位という生産量がある真鯛の養殖も、とらふぐの養殖もまだまだ進化の途中です。新しい発見からもっともっと良いものをみなさんにお届けできるよう挑戦を続けていきます!
それも全ては「宝の海」があってこそ。
海にいる魚は永遠ではありません。漁獲量が増えると海にいる魚は減ってしまいます。
サスティナブルな水産業を続けていくためにも美味しい魚を養殖できるこれまでの経験に加え、最先端の技術の導入や環境への配慮など、大切な海、自然に感謝しつつ、ともに歩んでいきます。

私達が大切に熱い想いで育てた真鯛やとらふぐが、多く人の笑顔に繋がるよう、どうぞ美味しく召し上がってください。

写真 2020-10-28 12 35 43

画像8

画像6

画像9


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集