ニュータイプと人類補完計画は表裏一体
前回の「GQuuuuuuX」の雑談の続き。
仮に「GQuuuuuuX」でニュータイプないしはヒトの革新を描くとしたら、どうするのだろう。
というのも庵野さんは「機動戦士ガンダム」で富野監督が提唱したニュータイプ論を既に「人類補完計画」という形で突き詰めて描いてるわけで。
そもそも「機動戦士ガンダム」におけるニュータイプとは、テレパシーなどを通じ意識レベルで相手の感情や思考を読み取ることができる「相互理解の拡張」である。
んが、相手の感情や考えが完全に理解できてしまうと一体全体どこからが自分の感情で、どこからが相手の感情なのかが分からなくなってくる。
すなわち、ニュータイプとは突き詰めればそれは「個の喪失」なのだ。
そんなニュータイプの抱えるジレンマを、庵野さんは「エヴァ」の中で「人類補完計画」という形で論じた。
孤独や他者との摩擦を解消するために個を解体し、意識レベルで融合する「人類補完計画」は「機動戦士ガンダム」で描かれたニュータイプのある種完成した姿と言っていい。
しかし、結局のところ個が融合したところでそれは「より大きな個」になるだけであり、それならば例え完璧な相互理解ができなくてもいいから他者のいる世界を望んだのがシンジ君であり「旧劇場版エヴァ」の結末であった。
「エヴァ」はニュータイプのネガティブな側面を論じた「機動戦士ガンダム」の「裏モノ」なのである。